今、夕食一食だけの生活をしている。
自分は断食すると、調子が良くなる感じがする人なので、そんなに苦ではない。
で、お腹がすいて、仕事が終わると食堂に行ってしまう。
夕焼けをとった
こんな生活も悪くはないが、栄養は心配かな。
ま、自炊で一食にすればいいけど。
自炊にこだわることなく。
今、夕食一食だけの生活をしている。
自分は断食すると、調子が良くなる感じがする人なので、そんなに苦ではない。
で、お腹がすいて、仕事が終わると食堂に行ってしまう。
夕焼けをとった
こんな生活も悪くはないが、栄養は心配かな。
ま、自炊で一食にすればいいけど。
自炊にこだわることなく。
牛丼を自分で作った
特盛りの二杯分ぐらいになったけど、やっぱ店の味と違う。
お店の味はプロの味。
手間を考えても、牛丼は店で食った方がお得
うまきを作ってみた
自分を強く持てば、人の顔色をうかがわなくてすむ。オレは嫌われるのが怖くて、相手に合わせたりとかして、生きてきたんだけど、
人生の基準を他人にしてはいけないのだと思う。生きていて辛くなる。まあ
確かに、あまり良いところもない人間だと思うが、人間によい人間とか悪い人間とか、あるのだろうか。
そんな価値観国や地方が変われば、いくらでも変わるのであって、空気ばっかり読まないで、自分を基準にして生きていけば、
自然に生きるのも楽しくなってくるかも知れん。よくわからん。
だが、これでいい。
自分はネットでニュースとかを見るんだけれど、日本はこの先お先真っ暗感がスゴい。
なんというか、団塊の世代の逃げ切り感がうらやましい感じがする反面、自分は本当の幸せに早く出会うことが出来たような感じもある。
経済的にはお先真っ暗かもしれないが、良いこともたくさんあるのだ。
より豊かな暮らし、広い家、高級車、それ、幸せと何の関係も無いのでは無いか。カネで幸せが買えるかのような洗脳から、人々が解け始めたのではないだろうか。
断捨離とかが流行ってくるのをみると、人々はどんな境遇からも、幸せを見つけ出せるのではないか。
むしろ、産めよ増やせよ稼げよの時代ははたしていいものだったのだろうか、陰の部分も多かったと思うのだ。
物事はちゃんとバランスがとれているのだ。
未来は暗くもあるが明るい。
オレは80年代アイドル歌謡が好きで、CDもたくさん集めた。新しいアイドルは(´・ω・`)知らんがな。前田敦子は知ってるかな。
おそらく筆頭は菊池桃子様ですけど、歌を聴くとそれは憧れますよ「虚像」に。
オレは女の園で仕事してきて、まあ同棲もしていますが、アイドルの歌う歌と現実のギャップに落胆する。
まあ、アイドルの歌は女性からすると「男に媚びている」そうで、そんな都合の良いオンナにはならないそうである。
ァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、
まあ、女性というのは非常に計算高く(尻尾が見えているが)、操作する術に長けている(ことが賢い女性の証と思っている)ので、
尻尾を撫でて、上手くコントロールすれば良いのである。
80年代アイドルのような人いるかなぁ
今日は休み
ライカムに行った。自分はジャスコが好き!というか、イオンカード持ちなので、ジャスコ系列でほとんど済ますのだ。
オーナーズカードも使ってるので、還元率はかなり高い。
四階建て。スゴいと思う。だいたい何でも売っている。
ゲームセンターに入ってみる。もう、100円いれて、レバーとボタンがついているようなゲーム機は、なんと一つもなかった。
昔で言うところの体感ゲームとコインゲームとUFOキャッチャーしかなかった。
いろいろ考えた。
もちろん、やったことのない音楽ゲームなどはあったが、やることはなかった。やるとしたら、結局クルマのゲームしかやらないのだ。
湾岸ミッドナイトというゲームにミッションのレバーがついていたので興味を引かれたが、クラッチがついてなかった。
で、100円が惜しくてやらなかった。
新しいことに挑戦せずに、これまでの自分のパターンでしか物事をしない。だから、時間が早く過ぎるのだ。きっと。
それが「老いる」ということ。
ロイヤルホストでランチ食う。
結局食い物。
ダイソーに行って、いろいろと買ってきた。
一昔前だったら、値段も高かったものが、今は100円で買えてしまうのだ。デフレというのは、実質賃金を引き上げる効果があるので、そんなに昔に比べて、貧しくなったような感じもしていない。
例えば、自分の子供の頃は、バブルの前だったからだと思うが、「メーカー品」という言葉があった。例えば、ジーンズもリーバイスの501じゃねーとダセーじゃん。みたいな、変な意識があって、オレも、高校生の頃はエドウィンのジーパンを履いたりもした。(ただ、自分はもともとオシャレじゃなかったこともあって、早々と一抜けした)
今の時代は、みんなが見栄を張らなくなったおかげで、とっても金銭面では楽になった。
深く考えるといいこととは言えないと思うが、デフレが続いて欲しい。
有名な電通の戦略十訓を挙げておきます。
1. もっと使わせろ
2. 捨てさせろ
3. 無駄使いさせろ
4. 季節を忘れさせろ
5. 贈り物をさせろ
6. 組み合わせで買わせろ
7. きっかけを投じろ
8. 流行遅れにさせろ
9. 気安く買わせろ
10. 混乱をつくり出せ
売る方は必死だ。わかっていて、あえて「乗る」のも悪くない。ただ、特に考えずに企業の戦略に乗って、無駄に散財したり、乗った上で「あいつダセー」とか言ってるのも、メチャカッコわるい感じする。
素敵だなー!と感心した事例を紹介したい。
オレの彼女の弟さんが絵心のある人で、オリジナルTシャツをもらった。気に入って着ている。
軽トラとヤギ。
センス良くね?
休日にやりたいことがない。
子供の時は、ワクワクしていた。毎日が発見の連続だったから、1日も長かったのかもしれない。時間を長くしたいのなら、新しい、知らないことに挑戦することが、一番いいのかもしれない。中途半端とか、批判されることを恐れず、いろいろと興味のおもむくままに、かじってみる。それが、人生を太く長くする秘訣なのかなぁ、とか思ってみた。
Hiroshi Kamayatsu - Gaulois o Suttakoto ga Arukai - YouTube
この歌を思い出すのだ。
シャケと大葉の混ぜ込みご飯
自分は断捨離が好きな人で、余計なものは要らないと考えているのだが、はたして彼女のプレゼントに何を贈ろうかと考えたのだった。
何にしていいかがわからない。
もし、自分が貰う方の立場だったら、「要らない」「消えて無くなるから食べ物がよい」ということだろう。
が、自分のことではないので、まあ、迷うのであった。女性のことは女性に任せようと思い、ママイクコというギフトショップで、かわいいギフト詰め合わせを買ったのであった。
よく、テレビなどのコマーシャルとか、店頭では「贈り物に最適」とか書いてあるのだが、人からものを貰ってうれしいのだろうか。売る方は、売れりゃあ後はどうでもいいのではないか。
それとも、そんなモノのが欲しくもない自分はやっぱり不適合者なのだろうか。こっちから贈りたい時にあげるよりも、相手がホントに欲しいときにあげるのが、相手にとって一番親切なのではないか、贈り物なんて所詮、贈る方の自己満足なのではないか。
そんなんで、みんなが何も買わなくなったら資本主義は死ぬだろうと思うが、別にオレは資本主義の維持のために生きたいとも思ってないのである。
つくづく自己チューなオレなのであった。
ブログをやっているが、なんでやっているのだろうか、とか考えることもある。自分の中では、実は文章を書く練習であったりもする。
自分は紙のノートに、いろいろと書きつけることもあるが、このブログとは内容が違っている。
つまり、読む相手が居ることを想定して書いているわけだ。不快な内容とかは基本的には避けたい、が何を書いても気に入らない人は気に入らないものだろう。
であるから、書いてある内容は、何でも書いて良いわけではない。ある一定のルールに基づいて書いているわけだ。
いろいろなブログがあるが、みんなすごいものだ。意外とみんな、ちゃんとルールを守って書いている。例えば実名は避けるとかだ。別に、何を入力してもエラーメッセージが出たりすることもないので、ある意味で高度な、世間の「空気を読む」技術が求められているとも言える。
実際は書いている人も居て、自分が知らないだけかな。世の中には、個人の悪口とか書きまくっている人も居るかも知れないね。けれども検索の上位に決して出ないから、気づかないだけかも知れないね。むしろ芸能人のツイッターのほうが誰だか分かってしまうことも多いから、大変かも知れないね。
まあ、そうやって、考えながら書くことも頭の体操にはいいかも知れないね。
ただ不思議なのは、自分は文章を書くのは好きなんだけど、おしゃべりは基本的に苦手だったりする。コミュニケーション能力には、文章力はあまり役に立たないかも知れないね。
なるほど、ブログとかツイッターとかは、案外話し下手の人に言論の場所を与えているという側面もあるのかも知れないね。