Deracine shimaken!2

散歩とか食べ物の記事が多いブログです。日記みたいなものです。

恩納の駅

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彼女と「恩納の駅」という道の駅にやって来た。

おにぎりと、お味噌汁やお湯などは、自宅から持っていき、名物のかまぼこなどを買って食べたのだ。

 

かまぼこのウニソースがけ、なるものが美味すぎるー、しかも150円。この味なら、納得です。

 

「恩納の駅」と変換しようとしたら、「女の液」と出てきた(ワァオ)

思うとおりにいくわけがない

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今日は、まったく思い通りに行かない日であった。

で、腹を立てている自分が居る。

うまくいかないのが当たり前である。

例えばこうした方が上手くいったのに、とかの次元でなく、「うまくいかない(自分の思うように行かない)」のが、基本なのだ、と、知ることだろうと思う。

ああ、それも、ありがたい。というまでは、悟っていないし、今後もそうかもしれない。

どうしようもない。

 

しよーもない自分の、最後まで味方になってくれる存在はあると思う。まあ、ぼちぼち行きましょうや、と言ってくださる。ありがたいものだ。

 

人間じゃないかもしれんが

同じことの繰り返し

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日々が過ぎていく。

オレは一人暮らしの時は、何かを求めて落ち着かず、また、アクティブでもあった。ただし、心も不安定。

同棲すると、ワサワサが治まった。代わりに、時間の流れがとにかく早く、毎日が同じパターンで過ぎるようになった。それに、心が安定してきた。不満も特にない。

これまでのアクティブは、不安を打ち消すための行動だったのかも知れない。

よくわからない。

コザ散歩3

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ここはプラザハウス

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プラザハウスの中。まえに、府中でみた風景に似ている。

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こんな所もあって、くつろげるようだ

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バスです。すでに乗客で混んでいた

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これは昔のライカムの写真。

ライカムも基地だったのだ。そもそもが地名がライカムというのも、ヘンだよね。

アメリカ人の名前だ

 

終わりです。

 

 

 

コザ散歩2

ゴヤ十字路にやってきました。

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十字路にある、立派な木

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音市場という施設。

マスコットはキジムナーといわれている沖縄の妖怪。いたずら好きな子どもの妖怪で、悪いヤツではないようである。

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ジャイロキャノピー。一見すると普通のようだが

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実は改造車。ボアアップもしてある。オレは、お金をかけずに趣味を楽しんでいる人々を、高く評価する傾向がある。

いかすぜ!楽しんでるな。かっこいいぜ

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同様。ズーミーの改造車。センス良いな。楽しんでるな。

最近テレビ買って、よく見ているのは所さんの世田谷ベースである。アレ系大好き。ハイセンスオタク?と言ったら怒られそうだけど、つまりアレ系。あ、お金はかけないことが重要

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昔は華やかだった一番街。けして店が全て閉まっているわけではないのだが、とにかく人が居ないのだ。

周りに人はたくさん住んで居るみたいなのだが。どこに行った?(ヒント:〇ャ〇コ)

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瀬戸物屋さん。並ぶ瀬戸物が圧巻

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謎の壁画。マヤーストリートと書いてある。

マヤーというのは沖縄の方言でネコのことである。宮古島ではマユーという。確かにネコは「マヤー」とないているように聞こえるが、よくよく聞くと「アー」としか言っていない。

子音が発声できるのは人間だけなのかな。

オレがネコを飼ったら名前は「マヤ」にしようと思っている。

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これ、根路銘スポーツという店の看板。

つまり、シャレである。

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沖縄らしい坂道の路地裏。

やっぱ、散歩ブログは書いていて面白いや。

 

もうちょっと続く。

 

コザ散歩1

某ショッピングセンターから散歩を開始しました。

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おそらく沖縄で一番古いショッピングセンター。昔はアメリカ人専用だったみたいよ。

今でも、洋書だけの本屋があったり、アメリカ寄り。

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沖縄っぽい雑居ビル。

行ったことないけど、香港の九龍城というのも、こんな感じの廃墟なのだろうか。

いや、廃墟ではなくて、人が住んでいるようだが。

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沖縄市上地というところにやってきました。ここは通称、中の町と呼ばれる社交街だ。

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こんな感じで、スナックビルが並ぶ。

昼間は閑散

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こんな感じ。

オレはスナックが好きでない。ごめんなさいだけど、おれが話すことをねーちゃんが理解できるわけないし、結局ねーちゃんの話を聞くために座っているという苦痛を味合わされる。

また、オレは聞き上手な感じでやるので、とにかく行きたくない。ホモじゃないが、女好きじゃないのが自分でもわかるのだ。

行きたい人は行けばいいのだ。悪いとは言っていない。

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いかにも渋いスナック。どういうネーミングセンスなんだろう。そういう意味で面白い。

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第二弾。今度はテキトーすぎなお店。スペルもめちゃくちゃ。でーじテキトー

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珍走団の飾り。

世の中、何にでも価値観を見いだせるものである。

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これが中の町一帯の地図。

なんというか、今日はアイロニーっぽい文章になってしまった。(´・ω・)スマソ

 

次はゴヤ周辺です。

つづく

 

氷河期世代への熱いエール

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オレは1975年生まれの、いわゆる氷河期世代である。

とにかく、この人生、同じ氷河期製の皆様同様、不遇に満ちていたのかもしれない。オレは、ありがたいことに、大学に行かせてもらえたが、その当時、大卒の就職戦線も、ほぼ壊滅に近い状態だったのを覚えている。オレは、全国で県民所得の最も低い地方に在住していたので、その煽りを強烈に受けたものである。

自分は、どうにか拾った運で、その逆境を乗り越えることができたが、その荒波に飲み込まれてしまった友人もいた。

わかる、わかるよ。

いいことなかった。俺らの年代。氷河期世代

オレも、細々と職にありつき、自分なりの幸せを構築しているところだ。君たち、氷河期世代と同じように。

氷河期世代の同士のみんな、元気か?

 

君たちに、話したいんだ。今の世の中、オレたち氷河期世代を含む、若者が割を食っていると思わないか?

当たり前だよ。人口ボリュームが厚い団塊の世代は政治に関心があって、ちゃんと投票に行って、政治家に意見するんだから。どうりで、自分たちの有利な世の中を展開できるはずだよ。

氷河期世代の諸君、君たちは、団塊の世代の策略に、まんまとハマってしまったんだよ。

俺達の親である団塊の世代は、「政治と宗教には近づくな」と君たちに教え込んだと思う。なぜだと思う?

「政治と宗教」それが、世の中を動かす力の源泉だからだ。

団塊の世代は、そのことを見抜いていた、将来のことまで考え抜いて、若い世代を踏み台にして、自分は逃げ切ろうと考えた。

そして、自分の子供たちを、「世の中の本質」から、すなわち「力の源泉」から遠ざけようと、画策した(無意識が大部分だっただろうと思う)

その結果が、今の現状である。

まんまと、団塊の世代の策略にハマったのだ。

少なくとも、ウチラの世代より、団塊世代は賢いといえるだろう。ものすごく。自分たちは安全な位置にいて、綺麗事を言いながら、俺達の世代を食い物にしながら、死ぬまでのうのうとすごすのだ。

団塊の世代亡き後、ガタガタになった日本経済と、廃墟になった元先進国が残されるのだ。

 

話の本質はここからにある。

団塊の世代の去った後、人口ボリュームが一番厚いのは、私達、苦渋を舐めてきた「氷河期世代」だ。

団塊の世代が、投票所に行けなくなったら、この世の中を牛耳るのは、私達「氷河期世代」だ。ちゃんと、氷河期世代が、「政治」に関心を持てば。団塊の世代が、自分の世代の逃げ切りのために「無関心」にそだてあげたけれどもな。段階の連中は「頭がいいよ」

そして、氷河期世代のみんな、ようやく

「君たちの時代がやってくるのだ」

この国には膨大な借金が残された。それらを回収するのは、苦渋をなめ続けてきたオレたち氷河期世代になるだろう。

 

最後は、半ば命令口調になりますが、意味を強調するために、強めの表現で申し上げます。

 

「投票にいけ!」

テレビ漬け

今日は台風。

家にこもる。休みだったのもある。仕事なら、台風だろうがなんだろうが行かないといけない。

と言うよりは、

生きたいから行くだけだ。

ザ・ノンフィクションが超気に入っている。

面白い。沖縄でもやれ(前はやっていたそうだが)

考えないことの重要性

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世の中、いろんなメディアで「考えること」の重要性とか、思考力を鍛える、とか言っている。

まるで、考えることが、良いことのように言っているが、本当にそうだろうか。

まあ、仕事とかは考えないと仕事にならないので、しょうがないが、考えないことの大切さも伝えたい。

例えば、人のことを「バカ」と言って非難するが、一番えらいのはバカのような気もするのだ。周りにアタマのいい人が居たら、警戒するのではないだろうか。というか、最後まで考えた人は、特に言いたいこともなくなり、馬鹿にされても言い返すこともなく、是とするのではないだろうか。

ありのままを認める。それ以上でも、それ以下でもない。別に人がどのように評価しようと構わないのではないだろうか。

もちろん、考えるという行為が好きで、楽しんでやっている分には構わないと思うが、みんな考えないといけないというものでもないだろう。

この文章は、おそらく考えて書いたものだが、別にどうでもよいことである。