オレは、まあ、雪国とか、南の島とか、大都会とか、山奥とか、いろんなところに住んでいたんだけど、今は結局、ほぼ生まれ育った街で落ち着くことになった。
ただ、東京から帰ってきたときは、抵抗がすごかったよ。まず、言葉が変に標準語がかって抜けない。で、沖縄のなまりで話すと、なぜか自分で違和感を感じる。結構悩んだよ。
ただ、仏様も「そのままでいいんだよ」というので、そのままでいたら、時間が解決したという(^^)
Uターン民も結構気を使うものなのよ。
それは、宮古にいたときに、すでに実感していた。宮古島は、沖縄よりも島から出ていって、結局帰ってくる人が多いが、「内地から帰ってきた」人を警戒するのだ。島の人は「内地から帰ってきた人は細かいしウルサイ」と言っていたのだ。
このサイトの文章を読んでいて、少し実感した。
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由 知られざる「文化と教育の地域格差」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353
ただ、いろいろな考えがあるだろうが、まず、文化的に優れている?ということが素晴らしいことなのだろうか。と思うのだ。
いろんな知識とか教養とか、言っているんだけど、それ、人生に本当に必要なのだろうか。田舎で、そういった、文化的?なオサレな生活はそもそも必要ないとも思うし、好きならやればいいし、嫌ならやらなければいい。短い文章では伝わらないなぁ。
「どっちでもいい」ことだとも思う。
けど、読んでいておいて損はない文章だとは思う。
オレは、少なくとも
「知識や教養は、幸せの邪魔をする」可能性があるものだと思っている。
いわば、良いようにも悪いようにも使える、両刃の剣で、そんな「剣」は持たないに越したことはないとも思うのである。
(矛盾だらけ文章)
いまから、仕事に行ってきまーす!
みんなも頑張れー!!
おわり