今日は仕事の後、ジムに行って筋トレしてきた。筋トレと言っても、自分は15分くらいしかやらない。そのかわり、5~6台の機械で小刻みに急いでやって終わる。
帰ってきたら、この食事。パパッと作って食べる。
結構、今日の日中は修羅場だったが、語る気にならないし、今現在、心は非常に落ち着いている。そして、今後とも阿弥陀様と一緒に生きていこうと思っているのであった。こんな自分でも許してくれる阿弥陀様がいる。ありがたい。きっと人間は許さないだろうが、阿弥陀様は許してくださる。
オレは人間としてまだまだだが、阿弥陀様は許してくれるのであった。
阿弥陀様がそばにいる。いつでも救うために立っている。
幸せな気持ち
おとつい、テレビでオウムのお医者さんのドラマがやっていた。まじめな人だったのだと思う。絶対的な存在にすがらなければ、身が持たなかったのだと思う。医療現場は過酷だと思う。
オレも人間の、死や、狂気、痛み、苦しみ、老い、悲しみ、絶望、怒り、イカれた笑いとか見てきたが、それに対して、オレは大したことは出来ないことを痛感した(やるべきことはやるが)何より、深く考える性格だったオレは苦しんだ。このままでは自分が持たない。頭がおかしくなりそうだ。
そういっているうちに心筋梗塞で倒れたので強制ストップとなった。強烈な痛みだったのを覚えている。とても早く対処していただいたので、肉体的には大したこと無かったが、それでも心筋の何割かは死んだ。二週間後には退院してまた仕事に戻った。ただ、倒れて二~三ヶ月後にうつ状態に陥った。オレはオレなりに世のため人のために頑張ってきたつもりだったが、この仕打ちはヒドいと。オレがやってきたことは悪行だったからか?
いきる意欲もなくなり、ただただ仕事が怖くなるのだった。よく青梅の橋から下を流れる川を眺めていたものだ。洪水でも起きてそのまま流されたら最後は荒川に流されるとか考えていたものだ。
そんなころ、ひたすらお寺に通った。阿弥陀様がそばにいてくれるの感じることが多くなってきた。阿弥陀様が救ってくださったのである。
オレの心筋梗塞のことを、人はタバコのせいだとか、自業自得だとか言い放った。それは事実だが、ひどい仕打ちだとその時のオレは感じた。人間というものに限界を感じることになった。そして人間のことを人間なりにしか信用しなくなった。
そして、オレも人間なのである。
人間を救うのは人間ではない。
今日の歌
面白おかしい謎の歌だが、オレも同じような気持ちである。
おわり