オレなりに(あくまでオレなりに)仏教に傾倒するようになって、考えるようになったことなんだけど、オレの中に「心」がすんでいるんだなぁ。オレの表現では、どうやら、「意志」と「心」と呼んでいる。
「理性」と「感情」と呼ぶ人もいると思う。だいたい伝わるんじゃない?
この「心」を動かす燃料を仏教では「煩悩」というようだ。(間違っていると思うがごめん)
自分を苦しめているのは、周りの状況でも何でもなく、煩悩なのである。わかりやすい煩悩の一つとして「~したい」という欲があるようだ。
また、「心」は、動くことがとても大好きなようである。それは、別に喜びでも悲しみでも怒りでも構わないようなのである。なんか、エンジンみたいのがあって、とにかくガソリンを注いで、回転数をあげたいみたいなのである。おそらく、そのガソリンが「煩悩」であろうと思う。エンジンが高回転すると、ものすごいパワーを産み、周りの人間にも影響を与えるが、エンジンは回転数があがると疲れるのである。おそらく、人間はエンジンを回したいのである。だから、スポーツ番組をみたり、フィクションをみたり、ワイドショーをみたいのだと思う。感動したり、泣いたり、怒りたい、心の運動をしたいのだろうと思う。
そして、だいたいの場合、いい結果を産まないようだ。(まあ、いろいろな考え方がある)
まあ、この自分の中にある「心」こそが自分と思ってしまうのが人間のようだが、仏教というものが、それとはまた違った視点を与えてくれたのである。
つーわけで、今から仕事なのである。
出来るだけ、心を動かさずに仕事したいもんだ。
が、なかなかできないんだよねー!
阿弥陀様は、そんなオレでもいいんだそうだ。
ありがとうだよ。阿弥陀様。
おわり