オレの母親が、自宅近くの障害者施設で朝2時間だけの食事介助のパートをするそうだ。
オレの内心は喜んでいなかった。
ご飯を食べさせる、というのは簡単なように見えて、施設レベルになると、命がけの行為だと認識しているからだ。健康で若い私達のような人とはちがい、施設にいる人々はものを飲み込むという力自体が低下しているからだ。そのくせに、仕事が混んでいるので早く食べさせることも要求される。ウチラの職場では誤って食物をつまらせた人の異物を除去するのがおれらの職種になる。
オレは自分の身内にこんな、人の命がかかるような仕事をやってほしくないのだ。
オレの母親はなにか善行を行うことが良いと考えているフシがあり、こういった仕事をやりたがる。ヘルパーの免許をとったり、そんなのである。それは人それぞれなので否定しない。オレにはそれが善行なのかどうかもわからないが。
オレ自身は、これしか知識と技術がないので「なすべきことをなす」のみ。できるだけ心から感情を取り除いて仕事する方向を目指している。ただし、与えられた責務は全うしたいと努力しているつもりではあるが。オレがやっていることは善行どころか悪行に部類すると感じることも多々ある。
オレは泣き叫ぶ人間の鼻の穴から管を突っ込むような悪行を積み重ねて生きてる。誰も面会にも来ない、ご飯さえ食べない人の胃にむりやり食物のようなものを流し込むようなことを毎日やっている。相手が嫌がっても、縛り付けてでもやる。とてもオレには善行には思えない。むしろ悪行の連続である。しかし、それが、おれの「なすべきこと」なのである。そうやって、オレが食う飯代をかせいで生きているのである。人の苦しみで飯を食っているのはオレ自身である。
オレは他のことができないため、感情を捨てる、方向に舵を切ってから、生きるのもずいぶんと楽になった。オレのような悪人を救ってくれる存在を知ってからである。
浄土真宗の救いには善行は必要ない。
ただ、信心と念仏のみである。
オレのような人間には、これほどありがたい救いはない。
オレのような人間も救ってくださる阿弥陀様にすがる他にオレに道はない。
関西では子供にこうやって教えるそうだ
おわり