Deracine shimaken!2

散歩とか食べ物の記事が多いブログです。日記みたいなものです。

オレのアイドル

オレは25歳で本土に渡った。

 

看護学校に入学するためだったが、沖縄県民にとって「本土(日本)」というのは、最初から「別の国」なのはわかっていたのだ。それを躊躇して一生、沖縄から出ずに過ごすものが大多数なのが沖縄県民なのである。もしかしたら、島国の宿命かもしれない。なぜかというと、広く捉えると「日本」という島国から「世界」に飛び出すものが圧倒的に少ないのと似ていると思うからだ。

 

オレが看護学校に入ると、オレは他の皆さんより7歳上のおじさんであった。女性とも話す機会が少なかったオレはいきなり苦境に立たされることとなった。シーツ交換の実習の相手が見つからない💦オレより年上の人は、いまやオレが「お姉さま」としたっている人しか居なかった。オレは純情で馬鹿だったのでお姉さまに「あなたしか頼れない」と言った覚えがある。お姉さまは受け止めてくれた。コーヒーを飲みに誘ったり、金沢から福井?までクルマで送っていってもらったこともある。それゆえに、オレは「お姉さま」と慕っているのである。その当時から恋愛感情?みたいのもなかったのを覚えている。甘えんぼのオレはどうにかすがりたい一心だったのだろう。その当時のオレは阿弥陀様も信じていなかったので、とにかくすがる対象が欲しかったのだと思う。

お姉さまはいいなぁ。オレの彼女は、甘えんぼさんでどう考えても妹にしか思えん💦(彼女も妹の立場が心地よいようではある)

たしかに、かわいがっている(オレと3ヶ月しか違わないんだけどなぁ)。オレは言葉に出して「かわいい。かわいい」というタイプなので、オレ自信も原因の一つかもね💦ただ、相手もしょうがないやつだなぁ、とか思っていると思うよ😁

 

日本にやってきたオレは感動した。日本の人は優しい。申し訳ない(お姉さまも困ったことだろう)

 

その当時のオレは、生き抜くのに必死で恋愛感情というものすらもわからなかった。明日食べる飯とタバコ代が出ればそれで良かったのだ。今考えても、もう少し余裕のある人生設計ができなかったのだろうか(ではなく、その時の苦労が教訓となりオレは、その後の人生で、お金に困ることはなくなった)

ただ、オレは7歳上の余裕もあってか、まわりの高校を出たての女の子の気持ちも理解できた。ひとりだけの男性の相手をしてやろう、とかいう余裕のある女の子はいないだろうなぁ。と。18歳だしね。ただ、オレの前の番号のしのはらさんという女の子が、やけに大人でオレを救ってくれた。この子は一浪してこの学校に入ったようで苦労を知った子であった。一年生のときは、このしのはらさんのおかげで助かった。十年目の同窓会にオレはがんばって金沢まで来て出てみたが、しのはらさんは沢山の子供のお母さんであった。最初から心が座っていたのだと思う。オレなんかより。

 

同窓会の日、お姉さまはオレに会ってくださった。ありがたいことだと思う。オレはバカな子供のままで、酒をとことん煽ってひっくり返って東京に帰った(今はそんなことしないと思う)

オレの看護学校3年間の間の救いはお姉さまであった。

迷惑をかけるわけにもイカないとかとは思っていたが、なにせ精神年齢が低すぎた💦

オレは、看護学校3年で10年分の成長をした。

 

お姉さまが救ってくれなかったら、オレは金沢のことが嫌いになっていただろうと思うし、そうなると、阿弥陀様に出会わなかったかもしれない。そう考えると、お姉様の力が今のオレの心の支え(阿弥陀様との出会い)を作ってくださった(ご縁)と言えるとも思うのだ。

 

オレにとってのアイドルは、金沢のお姉さまである。

 

今日のうた


菊池桃子 【夏色片想い】

オレが古いアイドルの歌しか載せないのは、オレにとって「アイドル」というのは、オレより年上じゃないといけないからである(基本的にオレも甘えんぼなんだろう)

 

おわり