今日は実家に行きました。オレは風邪を長引かせて咳が止まらなかったので、実家にしばらく行かなかったのです。普通の状態なら別に風邪ごときなら実家にも行くんだけど、例えばオレが風邪を親にうつして親が病院に行ったとする。そこでコロナを貰ったらどうするのよ。というわけで、行かなかったのだ。マスクをして行った。
両親とも元気だったが、父はどんどん歳を取っている。という印象であった。一応、要介護5である。
家の様々な場所に手すりが設置してあった。段取りをしたのは母である。オレは母を見直していた。オレは子供の頃から、母親に頼られっぱなしだった一面もあり(母親は20歳でオレを産んだ)母と父は10歳の年の差があったので、昔は堅物だった父親に苦労していたようでもある。オレはその愚痴の聞き役として大きくなった。母親を助けたいと小学校2年生から母親の営む商店の店番をしていた。10歳下の弟の面倒はオレが見た。子供の時から頼りになるお兄ちゃんであった。(内的反動は大きかった)
今の母親は昔の印象と違っており、頼りになり、人間的にも素晴らしく成長していた。世のため人のためになるというのもあり、毎日、近隣の施設に食事介助のアルバイトをしにいっている。(偉そうな子供だよね。でも正直に書こう)
父親は公務員だったこともあり、金銭的には困ったことがなかった。なので、金銭感覚がなく、趣味は絵画。油絵を描き(油絵というのは実はとてもお金のかかる趣味なんだよ)、そのアトリエを作りたいという理由もあって、オレのふるさとの大里から玉城に新しい家を建てて引っ越してきた。いきなり高額な絵画を購入してきたりすることもあった。
それに対して母親は商売人の家系で、実際に商売人でもあった。
オレのブログを見ていると、商売人のことを良く書いていないが、それは一種の自虐であり、オレは明らかに母親のアイデンティティを受け継いでいた。チャカチャカと働きカネにセコく、貧乏くさい。これは、明らかに父親ではなく、母親の性質を受け継いだものである。
父親は、芸術や絵画や音楽などの教養に富み、実際に自分も油絵を描くのに対して、オレは母親の系統で、カネや食い物にしか興味がなく、大変に俗物的である。
でも、母親(女性?)の味方をしてもいい?
「現実が大切。そのための能力を磨こう!」(改める気なし)
親一家の家計は堅い母親が締めているから安心。
ずばり言ってオレの親は金持ちであり、家を2軒も購入し、貰っている年金もオレの給料よりも、ずっと多い(1.5倍くらい)
いつも、おごってもらっている。
が、武士は食わねど高楊枝で、オレはたまにしか行かないところもあるのであった。贅沢に慣れたくないというのもある。勝ち負けではない。「時代」なのである。それを受け入れて「それでよい」とするのが、阿弥陀様の教えだと聞いております。
おわり