今日は職場のベテランの人に話をしたが、やっぱり伝わらなかった(あたりまえか)
オレが考えていることを人に話しても、理解してもらうのは難しいのだろうな。と思うし、じつはあんまり期待していなかった。そして、最近思い始めているのは、「理解してもらう」のは不幸のもとで、「理解するのが」幸福のもとなのではないか。ということだ。
つまり、自分のことについては話さないほうがいいのではないか。ということだ。おそらく、理解してもらいたい、とか思っていても、それが叶えられることはないだろうということだ。
オレが言いたかったことは以下のようなことだ。
いろいろな出来事が起こって、喜んだり腹を立てたりしているが、まあ、それもいいんだけれども、あとから考えると虚しい。というわけでもないが、あんまり意味があることに思えない。だいたいオレは、しょうもないことしか考えない。
あれがほしい、ハラがたった。だいたいが、しょうもないことだ。エネルギーの消耗でしかないように感じる。それでもたってくる、このハラも懲りないやつだなぁ。しょうがないやつだ。
考えるとろくなことにならない。考えるのをやめて、すべて阿弥陀様の言うようにやったほうが、「ラク」だと思われる。悩んだりするのが無駄。なんも考えないで阿弥陀様の言うとおりにやるほうが、オレも幸せだし結果的に「ラク」だ。
結構、文章になおすとわかりやすい。
オレは楽に生きたいのである。
今日も彼女とドライブに言ったが、彼女はどっかのテレビで見たのかわからないけど、何年も前に、金環日食というのが起こった際に世界の運気が悪い方に流れ出したので、今はいろいろな神社にお参りに行くといいらしい!と言っていた。
彼女は占いとかスピリチュアル?みたいなものが好きな人ではあるが、なんで、そう思うのかは聞かなかった。
彼女はオレが浄土真宗なのを知っているが、たぶん、中身は知らないのだろう。
オレと彼女ですらこうなのである。阿弥陀様は、自分のことは私にまかせて、相手のことを理解しなさい。と言うと思う。だから、そうしている。
そのほうが「ラク」だなぁ。と思う。
おわり