昨日はリーダー業務という仕事をやっていた。お年寄りの体温や血圧などをはかったり、痰を取ったり、いろいろやる。まあ、一番、看護師さんらしい仕事と言える。
100歳のおばあちゃんがいる。最近、入院していた病院から帰ってきた。
ご飯を食べなくなっていた。このおばあちゃんは、全く認知症がない人で(この年では大変にめずらしい)しかも頭脳も明晰。若い頃に東京に出ていたそうだ。
うちらの仕事は、ご飯を食べてもらうことである。
食べてくれないので話を聞いてみた。
「死にたい」そうである。
オレは頭ごなしに「だめよ!そんなこといっちゃ」とか全く言わない人で、「なんでそうおもうの?」と聞いてみた。話を20分ほど聞いていた。
まとめると、主に以下の2点。
1.家族や、とくに娘は本当に良くしてくれる。こんな迷惑しかかけられない存在になってしまったことが辛い。だから「死にたい」
2.私はこれまで、ずっと真面目にやってきた。人様にもとても好かれてきた。悪いことはしていない。なぜ、私がこういう目に会うのか。
オレは、ひたすら「そうか、そうか、そう思うのですか」と聞いていた。
このおばあちゃんは、「頭がしっかりしすぎていて」苦しんでいる。オレが見ていると、大体の人は80歳ぐらいをすぎると適度に、ボケ?はじめ、少なくともオレの職場では、このような「生きる」ことについて真剣に悩んでいる人はほぼいない。このおばあちゃんがスゴイのである。この仕事して長いが100歳を超えて、こんなにしっかりした人を、オレは初めて見た。
そして、このおばあちゃんは、最後に「教えて下さい」と言ってきた。
なんと、このおばあちゃんは100歳という人生の大先輩であるのにも関わらず、このオレに対して「学ぼう」としているのだ。なんて、すごい人だ。
オレは、オレみたいな若輩者が100歳のおばあちゃんに教えられることなんてないなぁ。と正直に思ったが、「同じ人間として」おばあちゃん扱いしないで、真剣に以下のことを話した。
1.人間は赤ちゃんの頃から迷惑をかけてしか生きていけない。おばあちゃんは、たくさんの迷惑を受けてこれまで生きてきたのだから、自分が迷惑をかけても良いのではないか。私は、それを迷惑とは思いません。
2.善行しても悪行を重ねても、人は必ず老いるのではないか。
3.おばあちゃんは、その「自然の道理」を自ら苦しい思いもして、子どもたちや、私達に身を持って教えてくれているのだと思う。であるから、悩み苦しむ姿も、またとても魅力的で素晴らしいと思う。
4.私は、おばあちゃんの「死にたい」という思いを否定しません。
そして、無理してご飯は食べなくていいから、「私はおばあちゃんに少しでもラクになってほしいので、飲みたいときには飲んでね」と飲み物をそばに置いていった。
あとからみると、水分が250ml飲んであった。
オレは「話を20分傾聴。水分250ml摂取」と記録に書いた。
おわり