昨日、仕事中ある青年と話になった。
で、こう聞かれた。
「~さん(オレのこと)は噂になっているんですけど、『幸せですか?』」
オレは、「幸せだね」と即答した。
まあ、オレが宗教野郎なのが、そろそろバレてきているんだろう。オレは口外したことはないんだけれども。東京にいるときにはすぐにバレたね。むしろ創価学会の人から折伏されて大変だったけど。日本本土は仏教の国なので、オレみたいな人がパターンとしてすでに存在しているから、見ただけですぐに分かるのだろう。
沖縄には檀家制度がなく、トートーメーという先祖崇拝が圧倒的な主流を占めているので、仏教が一般的ではない。仏教というよりも「宗教は怪しい」という色彩がなお強い(オレの言い分からするとトートーメーが宗教の一派であることを客観的に捉えていない。それは沖縄から出たことがないからだ)
で、オレはその青年にアドラー心理学の本のことを紹介した。
浄土真宗と言っても、理解してもらえないだろう。と判断したわけだ。
オレはお念仏が出るようになってから特に、毎日幸せに仕事しているので(実はハードだよ)、周りから見たらむしろ変に見えたのかもしれないね。
今日は休みで朝からラジオを聞いていたが、休みの日の朝は特に宗教の番組が流れる。キリスト教の放送が多いけど、たしかに一般の人が聞いたら「常に喜んでいなさい」とか平気でいうが、「常に喜べるか!」とか怒るのも無理はないと思う。オレは他宗だが、その気持がわかるつもりだ。
ただ、こればかりは、説明できない。
だって、「オレにはずっと阿弥陀様の声が届き続けているんだもの」
幸せと言わずに何というのでしょう。
阿弥陀様の力はもっと強力で「喜んでいなさい」とオレに自力すら求めていない。オレの努力は全く不要。
日常の雑事なんて、「取るに足らないこと」なのがわかるのだ。
今日のうた
最近、ハマり中。矢吹健さん。
この歌は水原弘さんの歌なんだけれども、矢吹さんバージョンがしびれる。
とっても短いが、面白い歌。
おわり