大根と豚肉の煮物を作っています。
日本社会では自慢話というものは、良くないものとされている。
が、人々は「さりげなく」自慢話を、自分の話すことに織り交ぜてくる傾向がある。
というのは、
皆様も良く知っているでしょう(笑)
オレは、こういう考えの持ち主なんだけれども、
アメリカの、通販の番組などを見ていると「私のようにスマートになりたければ、この機器を買ってトレーニングしてくださいね!」
と正直に言う傾向が見られる。
まあ、順当とも言える。おでぶさんが言っていても、「おめー、違うじゃん」とか言われるのがオチだ。
結果を出しているんだから、正直に言っていいんじゃないでしょうか。
坂本龍一さんがイタリアに行ったときの話をしていたけれど「みんな、自分のことしか話しないそうである(笑)」
まあ、オレが結果主義者というのも影響しているのかもしれないね。
日本社会では、そういうことをしないことが「美徳」とされているけど、それが「人々の成長を妨げている」側面を指摘しなければなるまい。
「出る杭は打つ」のが日本社会であり、さすが鎖国を300年も続けていただけはある。その間に、イギリスでは産業革命が起こり、ペリーが黒船でやってきて日本は目を覚ました。
オレは日本の美徳も素晴らしいともうが(つまり、「世間」の力というものが圧倒的に強い、ということだ)、オレは「世間様」とか屁とも思っていない人であり、
「世間様」がなんと言おうが、
オレは素晴らしい!と、自分で自分を肯定して(他者非難なしに)、自分の道を通してくださいね。
自慢話をしないことは、弊害も生んでいる。
「人の悪口をいうのである」
ちゃんとバランス良くできているのである。比較というもので、自分の立ち位置を確認している人にとっては、自慢話を抑制されると、他者を避難することで、自らの立場を肯定しようという心理が働くのは、当たり前である。
それを感じない域に達するのは、「人間だけの力」では「無理」であると感じる。
(仏様とか神様に、自分のことを全面肯定してもらったときにそれは可能になると考える)
つまり、「悪口は自慢話と同じ」である。
で、悪口よりは自慢話のほうが善性で、まだましなほうである。
脳細胞にとっても、悪口よりは自慢話のほうが遥かにマシである。
自慢話を聴いて「嫌だなぁ」と思う心は、自分と比較している未熟さ。とも言える。
素直な人なら、「いいなぁ。オレも頑張ろう」と思う。
であるから、
「悪口をいうよりは、自分のことを褒めてください」
樺沢先生も、「一回」は言ってもいい。と言っているみたい。
「脳細胞」のことを考えると、やっぱり、「良い言葉」を発言したいものだね(脳に擦れこまれて、精神構造がホントに変わってしまうから)
おわり