Deracine shimaken!2

散歩とか食べ物の記事が多いブログです。日記みたいなものです。

形而上学に対するコスト

一応、世間様では、明日は7月の末日になっていると思います。

たとえば、今月の後半は、子どもたちの夏休みが始まったり。と、

日頃過ごしている皆様の生活にも、ちょっとした変化が発生しているのかもしれません。

 

ちなみに、私はというと、20年以上病院や施設に勤めていたため、朝とか昼とか、休みとか、公休日とかお盆とか正月とか、まったく、「無関係」に生きてきました。

 

こういう、人生をいい意味でも悪い意味でも送り続けてきたために、

本当は大切にしないといけないのでしょうが、

「盆」とか「正月」とか「命日」とか「墓」とか、言うものに対して、

ヴィトゲンシュタイン流の「形而上学」と一蹴してしまう、思考回路が形成されてしまったわけです。

 

人間は死んだらどうなりますか?

焼き場で骨になりますね。

骨はなんですか?

カルシウムを多く含むであろう化学物質でしょうね。

 

僕が、上で述べたことは「事実ですか?」

 

もし、「事実である」と認識されてくださるのなら、

その、単なるカルシウムを多く含む化合物の対して、

「付随する」「思い!!」

というものは、

たんなる

「思い」

です。

 

その「思い」というものに、価値を感じ経済的な資源も投入していこう、という考え方と、「カルシウムの化合物ごときに」資源を投入していくなんて発想をしているようでは、

「本当に社会的原資を必要としている人々に、十分な社会資源が回らず」

 

結果的に、

 

「コガネをもっている年寄りや、そのヒエラルキーを構成している取り巻き」

の自己満足。

 

のために、

 

大切な、原資が消費されており、「誰も疑うことなくそれを実施し続けているのがこの世の中」

 

なんじゃないかな。

 

「愛欲に沈没し」という言葉もあったね。

 

今日のうた

 


www.youtube.com

おわり