助あう子ども
沖縄のカンヒザクラにも、サクランボはできます。
かわいい。
まあ、仕事もやっており、そつなく生活もしている。多分、あまり欲望(意欲)も無いので、このまま人生を終えようとしている。やりたいことはやったので、特に言うこともない。
「ただ生きる」
素敵ななかまがぽぽぽぽ-ん!
けど、いうか、ヒマだし。
雑談しよう。
ナックルボーラーになりたい
野球で大切なのは投手であるのは、言うまでも無いことだ。その一球に賭ける情熱や、故障寸前まで、限界を超えて投げ続ける気迫が、多くの人々を魅了してきたのも事実であろう。
特に日本の完投主義は、最たる物だと思うが、自分が考えるに肉体の故障だけは避けなければならない。
メジャーリーグの、途中交代制度は、とても良い制度だと思う(選手の保護の観点から)
これは、私たちにも言えることなのかも知れない。瞬間的な頑張りは、周りを動かしたりもするが、継続できるかどうかは別問題だろう。
ほどほどに長続きしたほうが、個人が発揮できるエネルギーの総量としては圧倒的に多いのだ。
ナックルボーラーは、肩を痛めることが少ないため、昔から投手生命が長く、40代近くまで投げたそうである。
政府もワークライフバランスの話をしだした。まあ、将来の移民に向けて、国際標準に近づけるためだと思うけど。
雑談終わり
オレはラジオぐらいしか聴かない。
朝から仕事。終わったら、寝てしまう。
休みの日はジャスコに行って、材料買う。弁当のネタ作り、仕事の時の弁当のおかず作る。弁当はお年寄りと一緒に食う。
連休はない。休みの日より仕事の方がいい。休みも特にいらない。ちゃんと仕事してるし、世のため人のために張ってるし、文句言われる筋合いねえ。財産とか地位とか人脈とかいらねえ。
やりたいことが今のこと。なりたい姿が今の姿。やりたいことは全てやった。余計な物は特にいらない。毎日トーエイで買った同じ物着てる。なまんだぶですでにしあわせよ。
最近ヒップホップにはまっているので、こんな自己アピールを、早口でラップできたらかっこいいな!とか思った。
なに?ディスってんの?(言ってみたかった)
お酒を飲んでいない。
このあいだ、禁酒宣言をして、一日で失敗したが、今回は一週間続いている。
WHOも、飲酒規制の方針を掲げており、日本でもタバコのように、飲酒規制が徐々に始まることだろう。今のうちに早々と習慣を断ち切りたいのだ。
今のところ、体調の大きな変化は感じていない。禁酒すると、睡眠の質が上がるという。その分早起きして、散歩とか読書とか、自分を高める活動をしたいのだ。
飲酒習慣のある頃は、毎日9時に寝て、6時半とか8時半とか、仕事の直前まで寝ていたのだ。
睡眠時間が長すぎる。少しずつ短くして、有意義な活動をしたいのだ。
人生も後半なのだ。
彼女と老後についての話になった。自分と彼女の話には、老後とか老人に関するものが多い。子供がいないからかもしれない。
オレは心臓病なので、毎日薬を飲んでいるが、飲まなくなると死ぬ確率が高い。
彼女はそのことを「うらやましい」というのだ。
そして、オレも「ラッキー」と思っていたのであった。
現在の日本のような、星型の人口構造をしている国で、年を取っていくというのは、不安以外の何物でもない。団塊ジュニアの世代が年金を受け取る額は微々たるものとなり、開始年齢は大幅に遅れることになるだろう。
この間の文藝春秋の3月号に、知識人に尋ねる「安楽死・尊厳死」についてのアンケートがあり、興味深く読んだ。一昔前の読売新聞に憲法改正試案みたいのが載った時、非難轟々だったのだが、現実が追いついてきた。現政権もオリンピックに向けての準備と憲法改正を急いでいるが、時間の問題だろう。その次にこの「人間の死をどうするのか」という問題が挙がるのではないか、と予想している。その時期は2025年までの決着であろうと考えている(当たるだろう)。
もし、法制化されたら、老後を心配して若者が消費を抑えて、老後のための蓄財に走る必要もなくなるだろう。そこから、日本復活の突破口が切り開ける可能性がある。
多くの国民が、死や病から目をそらして逃げることなく、この問題に向き合っていかなければならない時期に来ているのだ。全ての人が、老いや病い、人間の狂気といった「老病苦」に、フィクションではなく「実際に自分の目で手で」触れてほしいものだ。
明るい未来は期待していないが、少なくとも不安を軽減するような施策を望む。
基本的に、料理作ったら、写真撮る。
だって、食ったら消えちゃうから、証拠残してる。
ステーキ肉が安かったから、サイコロステーキにした。おかずは、まあ、写真の通りだ。
つけだれは、ワサビ醤油が基本。
焼肉「安安」に行った。
オレは彼女から焼肉屋の素晴らしさを教えて貰った。
うまいです。
伊波家というそば屋で、そばを食べました。軟骨ソーキそばです。
伊波家の軟骨ソーキは、軟骨が柔らかくて食べられるので、本ソーキよりうまいです。
20年前程から通っている、おすすめそば屋。
また自炊。
飲む食うしか、楽しみがないのか?と思うくらい、食ってる。
自炊の道、たやすからず。
チーズを大場でくるんで、さらに鶏胸肉でくるみます。
それを焼く。酒みりん醤油は定番の味付けです。
オレは、料理しか取り柄がないので自炊している(なんと同棲している彼女もいる)
が、彼女はオレが料理する人間なのを良いことに、台所にはほとんど立たない人なのだ。
オレは沖縄人だが、言わせて貰う。
世代間闘争を、基地闘争とすり替えるな。二大新聞。
オレら若者にとっては、基地なんかどうでもいい。この、老人が若者を食いつぶす社会のことを新聞に書け、この二大新聞。
あ、おまえらも、若者を食い物にする奴らだったな。
ワリぃワリぃ
話す相手を間違えた。
すまんな。
別の奴らに頼むことにするわ
(さぁ、オレは県民の若者の意見を代弁してるつもりだぜ。ま、新聞様には載らんだろうがな)
生きてるだけでありがたいっすよ。これも、先輩方のおかげっすよ。
マジサンキュ!
せいぜい死ぬまで楽しむわ。
国際通りまで、歩いてきました。
今日のむつみ橋
バーガーキングのセットが安い。マクドナルドより安い印象。ほんとに、沖縄はいろんなチェーン店がやって来て、発展した地方になったと思う。
けど、賃金はほとんど万年最下位。
賃金なんて、そう上がるもんじゃなさそうだから、とにかく100円ローソンもセリアも肉のハナマサでも、鶴亀ランドでも何でも来て、どんどん沖縄の物価を下げてほしい。
アパートもたくさん作って、バブル崩壊させて、家賃も下げてほしい。ま、そうなるでしょうけど。(*^_^*)
オレがバイトしていたパチ屋は、ドラッグストアになっていた。
いいことだと思うよ(ひとごと)
この景品交換所にいたよ。毎回500万円を背負って原付バイクに乗っていたのも、良い思い出。
貴重なマークⅡのタクシーを発見。運転したこともあるけど、とっても運転しやすい。サイズも良く、名車。
しかもガス仕様。
しまっていたけど、うまそう!
お金を持っていたら久茂地付近の居酒屋もいいでしょう。オレは、足立屋近辺が好きなひと。
那覇のパレットです。
オレはどちらかというと、笠舞のパレットのほうに世話になった。
(笠舞のパレットはググってください)
とにかく出入りした。いろんな立場で。
「好きな言葉は情熱です」
オレの好きな言葉は
「人生は暇つぶし」です。
オレは那覇市に3ヶ月間だけ籍を置いていた(東京に出る前)
本籍は那覇なので、書類を那覇市役所に取りに行く。昔と違って、めちゃ早い!IT化も悪くない。
バスターミナルが工事中。何が建つんでしょう。沖縄、スゴいよな。発展著しい地方都市だ。
よく分からんよ。
給料あげなさい(*^_^*)
県庁南口。ドミトリー「アーマン」
アーマンというのは、沖縄の方言でヤドカリのことだ。
ネーミングセンスが、素晴らしいと思う。
オレもギャグを考えたことがある。
海辺で「Sea By」という飲み屋を作って、ビールを売るのはどうだろう。
県庁南口から、バスで津嘉山に帰りました。
那覇散歩しゅーりょー
読んでくださり、♪♪♪ d(`Д´)b♪♪♪サンキュー
開南の農連市場から、国際通りにかけて歩いていきます。
太平通りです。
いちばん、庶民的な商店街です。
平和通りとかは、ほとんどお土産屋さんですけど、ここは昔ながらの市民のための商店街の姿を保っています。
丸市ミートの跡地にある、昔ながらの古本屋さん。ブックオフが出来て、昔ながらの古本屋はほとんどなくなったね。
最近話題の激熱スポット。公設市場の裏側にある飲み屋群です。火付け役は「足立屋」
沖縄に立ち飲みの文化を持ち込みました。内地が長かったオレもイチオシの飲み屋です。
昼間から営業中!
昼間から、チューハイともつ煮です。
うまいです。サイコーだよ。
最近は栄町も面白いと聞く。今度行ってみるベ。
こんな感じで、最近は国際通りの裏側が面白い!
昼間からやる飲み屋が続出。休みの日はバスで牧志まで来て、ずっと飲み歩くというのも、飲んべえにはおすすめ。
これは、お寿司屋さんみたいよ
いろいろあって、面白いぜ。
まあ、みんな基本的に飲食ですけど。
オレのなじみだった喫茶店。最近はタバコを吸わないので、喫茶店に行く理由があまりなくなった。
ちょい食いの店も多くなってきた。価格は観光客価格だけど、まあ、居酒屋のつまみよりは安い。
缶ビール片手に買い食いというのもあり。
むつみ橋通りにも、飲み屋が進出。
こんな、観光客向けファッションもいいかも知れない。
つづく
真和志の与儀から、那覇の開南に向かいます。
この、真和志とか那覇とか首里とか小禄とかの地名は、いつまで通じるのだろうか。
逆に言えば、大昔に合併したのに、いつまでたっても消えていないとも、言える。
与儀の裏道。なんか、個人的にビビッと来た家。瓦屋に、緑がいっぱい。小さな駐車場に軽自動車。
必要最低限かつ、自然にも囲まれ、手入れして美しさを保ち、凛としている暮らし。
オレを引きつけた。
やっぱり、散歩はいいよ!
(・∀・)イイヨイイヨー
この、ジュリオが、色あせていて経年劣化で美しさを醸し出している。
(・∀・)イイヨイイヨー!
緑いっぱい。鉢植えが美しい。
オレもやりたいな。
今は初心者なので、家の中で観葉植物を育てています。
与儀の市場通りです。この雑貨店は大昔からあった。天ぷら屋もかろうじて残っていた。
樋川。プラモデルにしたいような、木造の家。オレは一所懸命お花を育てているような家が好きみたいである。
オレは無趣味だが、どうやらこの方向に趣味を広げた方が、幸せになれそうである。
金色のシーサー。金色は初めて見たかな。周りに溶け込んでいて、別に浮いてもいなかった。
開南の農連市場にやってきました。この、壊れた木造建築の1階では食堂をやっています。小さな女の子がお店から出てきました。
21世紀とは思えない風景。まるで、終戦直後のようだ。
農連市場。ちゃんと営業していた。終戦直後じゃないよ。
ほらね。今風の軽自動車がとまっています。
きれいじゃない。都会の雑然。
まるで、大昔に戻ったような、開南の風景であった。
つづく
今日は休みで午前中に、病院の予約にいったが、特にやりたいこともなく、そのまま家に帰るとヒマすぎて酒を飲みそうなので、
那覇に散歩しに行った。
南風原町にある、どっかにクルマを停めて散歩開始。
散歩スタート。那覇市仲井真。どこに停めたか、すぐに察しがつくね。
古いアパートの色を塗り直してあったが、現代的センスでなかなか良い。センスって大切だね。
国場川。鯉のぼりの季節になると、たくさんの鯉のぼりが見れます。以前は、ここあたりにバーミヤンがあったと思うが。
謎の店。確か、赤十字は、赤十字以外が使ってはいけないと思う。レスキューパーティーという名前の、パーマ屋。
国場から長田に上がる坂。昔より短い感じがした。
ここ当たりで変わってないのは、この食堂ぐらいだった。
おれが10年ぐらい通った街。
真和志の達人だった。
ペチカという名前のお店だったと記憶している。
西原商店がおしゃれな喫茶店になっていた。
沖縄の都会の裏路地らしい風景。
良く来た街。那覇市与儀。ブックオフになってからは長いと思う。
名前は変わっているが、まだカラオケ屋だった。
アメリアという名前だった。となりのホライズンという喫茶店は、美容室になっていた。山城歯科はまだあった。
いまの名前は「ボクシー」だそうだ。
なぜ(・∀・)カエル!!
怪しげな店に変貌していた。
また食堂に戻ることを「ふたたび」待つことにする。
沖縄らしい建物。なんか、いい雰囲気だよ。この、中途半端にくっつけたけど、土地は狭い。みたいな感じが良い。
与儀の裏道。沖縄らしい。よい。
この、作ってない感じの自然体。かっこすらつけてないところが良い。
いいえ!結構です!!
散歩は開南方面へ。
つづく