最近、彼女がご飯を作ってくれます。
このあいだ、バレンタインデーについての考えのようなものを書いたんだけど、自分はいちゃもん付けると文章がアタマに湧いてくるタイプなのかも知れないとか思った。
例えば、現状肯定のような文章は、自然と短くなってしまうモノだ。一番短ければ「御意」だけですんでしまう。
「否」というと、「なんで?」と来るから、その説明の文章が湧いて出てくるのである。きっとアタマの中が批判的精神なのだろう。
本当は逆になりたいんだけど。
信心が足りませんなぁ(:_;)
よしあしの
文字をも知らぬ人は皆
誠の心なりけるを
善悪の字知り顔は
大そら言のかたちなり
意味
良いとか悪いとかの字も知らない人は、綺麗で澄んだ心をしているというのに
アレが良いとかコレが悪いとか、知ったような顔をしていることは、実は大変的外れな事である
ただ、ブログの記事としては、ツッコミの文章の方が、読んでいて面白いというか、考えさせられるというか、読んでいる方もツッコミとなり、一つの問題提起として機能するという側面もあるとは思う。(あまり度を超えると炎上するのだろう)