Deracine shimaken!2

散歩とか食べ物の記事が多いブログです。日記みたいなものです。

つまり、そのままで良い

f:id:shimaken9801:20210828175707j:plain

「自分」と思っているものは、どういうものなのか?

ということを探求するということなのである。

 

で、上の図のようになるのである。

欲求の字が間違いゴメン

 

つまり、健康で社会的によりよく生きていこうと思うなら、

この人間の「古い部分」を適切にコントロールしていけばいいのである。

 

まず、人間の病気の半分以上は遺伝で決まっているので、親がかかった病気をよく見ていて、その傾向から「今現在の自分の生活を改めること」ということだ。

親が心臓が弱いなら、自分も気をつける。腎臓が弱いなら気をつける。痛風になったならプリン体に気をつける。などである(今、若くて症状が出ていなくても、自分に症状が発現していなくても。だ)

自分が元気で長生きしたいなら、親(両方)の病気研究をしたほうがよい。

 

あと、それらをコントロールしている「感情」も「人間」の部分と「動物」の部分に分けて考える。「元気で長生きしたい」というのが人間の脳の方であるなら、それと相反する行動を抑制していくことだ。

頭ではわかっているのに、深酒する。アイスクリームを食べる。腹が立ったら喚き散らす。いろいろやりますね。人間は。

が、抑制に対して、古い脳は抵抗する。これが「ストレス」というものである。

 

私達は、自分の中に「動物」を飼っているのだ。

 

それは、純粋に自分の快楽や生存欲求に基づく不安や恐怖などを、脳にもたらす。

これが「感情」である。

 

そして、この「感情」が、「不幸のもと」

なのだ。

 

自分が感情に揺さぶられることなく、また感情で動く人間(他者)を「遠ざける」ことで、平穏な人生を送れることは間違いない。

 

人間の人間たるゆえんは「動物的な欲求からの離脱」であり、動物的なものの排除が、より人間たるゆえんとなることであろう。

これが完璧にできるようになった状態を「悟り」という。

そして、悟りを達成したもののことを「仏」という。

 

最後に、まったく逆のことを言う。

「これでよいのである」

人間は、いまのままで良いのである。

 

その根拠は、阿弥陀様の第18願である。

 

あなたの、そのままで、そのままで、救われるのである。

 

「悟らなくてもよい」

 

のである。

そう。今のままの、相手のことも考えず、自己の欲求を優先し、好きなものを食べ健康を壊す。そして、さんざん健康に悪いこともやってきたくせに、死にたくない。というわがまま。

 

そんな、オレでも一発で救われる願がかかっているのである。

もはや、死んでも良いのである。

 

おわり