「自分」と思っているものは、どういうものなのか?
ということを探求するということなのである。
で、上の図のようになるのである。
欲求の字が間違いゴメン
つまり、健康で社会的によりよく生きていこうと思うなら、
この人間の「古い部分」を適切にコントロールしていけばいいのである。
まず、人間の病気の半分以上は遺伝で決まっているので、親がかかった病気をよく見ていて、その傾向から「今現在の自分の生活を改めること」ということだ。
親が心臓が弱いなら、自分も気をつける。腎臓が弱いなら気をつける。痛風になったならプリン体に気をつける。などである(今、若くて症状が出ていなくても、自分に症状が発現していなくても。だ)
自分が元気で長生きしたいなら、親(両方)の病気研究をしたほうがよい。
あと、それらをコントロールしている「感情」も「人間」の部分と「動物」の部分に分けて考える。「元気で長生きしたい」というのが人間の脳の方であるなら、それと相反する行動を抑制していくことだ。
頭ではわかっているのに、深酒する。アイスクリームを食べる。腹が立ったら喚き散らす。いろいろやりますね。人間は。
が、抑制に対して、古い脳は抵抗する。これが「ストレス」というものである。
私達は、自分の中に「動物」を飼っているのだ。
それは、純粋に自分の快楽や生存欲求に基づく不安や恐怖などを、脳にもたらす。
これが「感情」である。
そして、この「感情」が、「不幸のもと」
なのだ。
自分が感情に揺さぶられることなく、また感情で動く人間(他者)を「遠ざける」ことで、平穏な人生を送れることは間違いない。
人間の人間たるゆえんは「動物的な欲求からの離脱」であり、動物的なものの排除が、より人間たるゆえんとなることであろう。
これが完璧にできるようになった状態を「悟り」という。
そして、悟りを達成したもののことを「仏」という。
最後に、まったく逆のことを言う。
「これでよいのである」
人間は、いまのままで良いのである。
その根拠は、阿弥陀様の第18願である。
あなたの、そのままで、そのままで、救われるのである。
「悟らなくてもよい」
のである。
そう。今のままの、相手のことも考えず、自己の欲求を優先し、好きなものを食べ健康を壊す。そして、さんざん健康に悪いこともやってきたくせに、死にたくない。というわがまま。
そんな、オレでも一発で救われる願がかかっているのである。
もはや、死んでも良いのである。
おわり