Deracine shimaken!2

散歩とか食べ物の記事が多いブログです。日記みたいなものです。

「ココロ」を眺める

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いつもの近所の砂浜だよ

いろいろあって、彼女とドライブに行くことになったんだけれども、彼女は自由奔放な人なので、行きたければ行けばいいし、行きたくなければ行かなければいいというスタンスだ。自分の中では、オレは樹木希林で、彼女は内田裕也みたいなものだと捉えている。

 

オレのこれまでは、「ココロ」に振り回されない努力を続けてきたつもりなので、どちらかというと行動に一貫性があり、決めた目標を実現するためには、一時の感情を全く尊重しない生き方をしてきた。まあ、それを全員がやるべきだとは思わないけど。もちろん、オレも30半ばになるまでは、自分の感情に振り回され、喧嘩して職場をやめるとか、たくさんやってきた。大体の場合は、感情に従って動くと「自分が損する」場合が多かったので、自分で修正してきたわけなんだね。

ただ最近、NLPというものを学ぶようになってきて(NLPを学ぶようになったのも「自分のココロをコントロールしたい、という欲求からだ)、心理学の知識も得ることになった。からだとココロは一体であって、「この人とは合う」とか「合わない」とか言うものがあるらしく、そう考える人間が居る以上、それを尊重しなければならないだろうなぁ。とは思った。例えば、だいたいの人はそうだが、職場だと嫌いな人とも上手くやらないといけないので、それなりにやるだろう。でも、恋人とかお互いメリットを求めて付き合っているという側面もあるのかも知れないし、ある意味「縛り」がないんだろうね。

オレは恋愛とかを「病気のようなものだ」と思っており、全然信用していない。結局、人間はそういう生き物であって、それを社会的に固定させるために「結婚」とかの仕組みがあるのではないか。とか思う。ただし、「人間というものは(人間の心というものは)こういうものである」とお互いが理解し、相手を許し、自分を戒めていけるカップルはいつまでも、助け合って仲良くできるのではないか。とか思う。そして、それを人々に教えてきたのが宗教というものだろうと思う。最近のすぐ結婚・すぐ離婚は、もちろんそれを許す社会も原因としてあるが、現代の人々が「自分の心を客観的に眺める」訓練が乏しいからではないか。とか思う。

オレは、自分の感情というものを「困ったちゃん」のように捉えているのだが、感情と行動が一体化していて、理性よりも感情の方を優先する人がいてもおかしくないとは思われる。そういう人とどうやって付き合っていったらいいのかねぇ。

 オレが言うことは厳しいと感じる人もいるかも知れないが、オレが青梅で出会った創価学会の人は「服にからだを合わせるんだよ」と言っていた。自衛隊上がりのごっつい人だったね。もちろん悪人ではなかった。創価学会は強い!(ビビる)でも、同じ仏教。同じようなことを言っていると思われる(オレの中では日蓮宗の系統は「正しさ」の仏教、浄土真宗は「優しさ」の仏教という捉え方ではある)

 

上の文章は「オレはオレが正しいと思う」という文章なので、読者の方は自分が正しいと思う道を進んでほしいと思います。

 

おわり