今、「野中広務 差別と権力」という本を読んでいるところだけれども、オレは差別というものは「無知」から起こるものなのではないか。という思いを深めている。
例えば、
沖縄には一定数の「ナイチャー嫌い」(日本人嫌い)が存在する。オレの親父もそれに当てはまる。オレのおふくろは賢いから、口には出さないけれども、内心にはそう思っているフシがある。
オレの弟もそうだと思われる。けっこういるじゃないか😣
沖縄県民の日本人に対する不信感は根強いものがある。
正直に言うと、沖縄に憧れて沖縄移住を考えている方がいるとしたら、
「やめたほうがいいですよ」
結局、本土の人同士でつるむことになります。
それに対して、オレは親日派だ。だって、本土で10年ぐらい過ごしてきたんだから。オレはほんとに日本の人に良くしてもらったし、良い面をたくさん学んできた。日本に染まっていたと言えるだろう。それで、沖縄に帰ってきてからも、今の職場では、逆に不信感を持たれ、信頼を得るのにかなりの時間がかかった。(言葉も標準語なまり?が抜けないのだ)
野中さんは部落出身のひとだが(沖縄には部落差別がないため、オレ自身は本土の(特に関西の)部落差別の過酷さというものをよくは知らないのが本音だ)ただ、東京でその片鱗に触ることはあった)、その差別と戦い、つねに弱者へのあたたかい眼差しを持っていた。
オレも、東京にいる頃に露骨に沖縄差別をされたことがあり、その差別をしてきた人物が岩手の人で創価学会員だったことは決して忘れない。というように、差別をした人には何気ない一言でも、差別されたものは一生忘れない、のが「差別」というものの特性だと思われる。分別あるオレは、それは「個人」の特性であって、「創価学会」と「岩手県」を感情から切り離す必要がある。
野中さんのお父さんは浄土真宗の妙好人で、身寄りのない朝鮮の子供たちを世話し、野中さんの世話役として朝鮮の女性を当てていたそうである。そのおかげで、野中さんは日朝の関係改善に寄与した。子供の時の体験から、生まれた場所とか文化、によらない人間観を獲得していたものと思われる。
それは、朝鮮の人々と深く交流し「よく知っていた」からだろうと思うのだ。
オレも、日本の人と深く交流して、日本の人を信頼・尊敬しているから親日派なのだ。
でも、オレも反省としないといけないことがあると思うんだ。
振り返ってみると、オレの元彼女はボヴァリー婦人のような人だったんだけれども、女性がみんなそういう人だと決めつけたりするのは「よく知っていないからだ」ということだと思うのだ。オレの職場は女性ばかりだが、彼女が変わった人なのは最初から知っていた。それでも良いと思っていたんだよね。
でも、「振られちゃった😆」
自分の無知が差別につながってはいけないと思うし、逆に、自分に差別的感情が起こるのだとすれば、まず、自分の無知を疑う必要がある。
おわり