とても残念な思いがあるとともに、薬物というものの恐ろしさを見ている人々に知らしめたと思う。ダルクに入って、テレビなどにも出て薬物の恐ろしさを皆に伝えていた人でさえ再び使ってしまう。本人の意志ではどうにもならないような中毒性だ。
オレは東京で覚醒剤中毒の人の面倒を見たことがある。覚醒剤中毒の人は離脱症状から抜けると普通の人に戻ってしまうので、その人はむしろ礼儀正しい人であった。保護室というところに入っていたが、最初見廻りをしたときは普通に床に座っていた。
次に部屋を回ってきたときに、ベットを縦に立てて、シーツを細長くちぎったものを使って首をつっていたのである。すぐに気づいて、部屋のカギを開け救命。命は助かった。もちろん、怒る同僚も居たが、オレはこの人の日頃の姿を見ていたので、とても怒ったりする気にはなれなかった。
やめたくてもやめられない。もう死のう。と考える人もいるのだ。悲しい物質だ。こんなもの世の中から消えてなくなればいいのに。
上の昭和の広告は、覚醒剤である。聞いたことのある会社が普通に製造して売っていたのだ。終戦直後は違法ではなかったわけだ。
おわり