この、トーエイで3年ぐらい前に900円くらいで買ったバングラデシュ製のズボン。そのスボンをオレは、まだ、破れた場所を縫って使おうとしているのであった。
やったぜ!
まだ、使えるぜ。
オレの生活に対するこだわり。
これは、先生がいる。看護学校にいたY先生だ。
この先生は、先生としての理想型からは外れていたと思う。かなり、感情的でヒステリーであった。はっきり言って「変な」先生。
女の悪いところを抜き出したような先生だった。
しかし、この先生は、オレからすればまさに「ホンモノの」先生であった。感情が占める割合が高すぎたが、「オレの心には響いた」
オレとは違って、「ずるくない」真っ直ぐな先生であった。
オレは、生きるための日銭を稼ぐのに明け暮れ、成績は下がる一方であった。この先生は、何を思ったか、オレの通う看護学校の母体病院である病院の院長先生に「試験の点数が悪い」という理由で、オレを含む赤点の劣等生二人で、院長室まで謝りにに行かされた。オレの出た看護学校は、全国で10番以内に入る名門だったので、先生なりに、何か、「出来の悪いやつは申し訳ない」とか思ったのだろう。
当時のオレには「何ら反省する気持ちが無かった」のは覚えている。それどころじゃなかったのである。明日食う飯の心配が先だったんだから。
が、人間は都合のいいことだけは覚えているもので、この先生が言った「看護師は人間の生活を見る仕事だから、生活をしっかりしなければならない」という部分だけを都合よく、オレなりに受け取ったらしい(その当時、オレは「勉強よりも生活が苦しかったからだ」と思われる)
ずっと、この先生に対する反発をおぼえながらも、この先生は市内のI病院の師長さんとして左遷(栄転?)された。
3年生のとき、そのI病院で実習だったときに、看護学生の控え室に、その「Y先生」から電話が掛かってきたのだ。残念ながら、電話を取ったのはオレだった。別の子が受け取ればよかったのに。
オレは冷たくあしらった。
オレは忘れない。
今、思えば、本当に後悔しかない。
Y先生も、教え子たちへの思いやりや、寂しい思いがあったのだろう。本当に申し訳ないことをした。
オレは、自分の個人的な感情であしらうことしかできなかった。(今ならそんなことはしない)
それもあるのだろう。
結局、その学校で一番、オレに影響を与えたのは、Y先生だったと言える。
人生、何があるかわからない。
ごめんなさい。Y先生。
おわり