最初に一応、前提として述べたいことがあるけど、
このブログに書いてあることは「自分」だけに適応されていることであって、他の皆様であったり、読者の皆様には、なんの関係もありません。日本では思想の自由が保証されていると思うので、好き勝手述べていますが、読んでくださっている皆様は、このブログなんかに影響も受けず、自らの思想を貫かれることを望みます。読んで腹立てた人はごめんなさい💦ちなみに、このブログは書いている人自体が、誰が読んでるかすらわからない状態で書き続けています。
読んでくださっている方がいれば、読者の皆さまが素敵に自分らしく生きていって欲しいなぁ。と思います。皆さまの幸せを望みます。
例えば、オレが勉強(仕事とか)のための本を読んだりしたとする。それは、自分のための勉強(仕事の問題解決に役立つこともあるかも知れないが)であって、別に良いことでも悪いことでもないかも知れない。例えば、なにか人助けをしたり、人に喜んでもらったりとかする。一応、相手が嬉しいとなぜかオレも嬉しくなるのでやったりもするが、それが往生の要件でもないと思う。
どんなに善行を積んでも、それが往生の要件にはならないと思う。オレがたまにはやるささやかな善行よりも、やってきた悪行のほうが多すぎて地獄に行くしか無いと思われる。そもそもが生き物を殺して食べている。仕事でも悪行を積み重ねており、人に苦しみばかり与えている。オレが投資で儲けたカネは誰かが損したカネだ。オレが貰っている給料は誰かが支払ったカネだ。そのカネで生き物(植物も生き物だ)の死体を買って食べて生きている。ヤバい奴だ(汗)
どうにかしたい、と思って教行信証という本を読んでいるが、難しい(汗)
次の文を見つけた。感動したので折り目をつけた。
引用させてください。
金剛の信心を得たなら、他力によって速やかに、五悪趣・八難処という迷いの世界をめぐり続ける世間の道を超え出て、この世において、必ず十種の利益を得させていただくのである。
十種とは何かといえば、
一つには、眼に見えない方々にいつも護られるという利益、
二つには、名号にこめられたこの上ない尊い徳が身にそなわるという利益、
三つには、罪悪が転じて善となる利益、
四つには、仏がたに護られるという利益、
五つには、仏がたにほめたたえられるという利益、
六つには、阿弥陀仏の光明に摂め取られて常に護られるという利益、
七つには、心のよろこびが多いという利益、
八つには、如来の恩を知りその徳に報謝するという利益、
九つには、常に如来の大いなる慈悲を広めるという利益、
十には、正定聚に入るという利益である。
オレみたいなやつでも、悪が善に転じ、心がよろこび、正定聚に入るそうである。
ありがたすぎる。これが、阿弥陀様の光なのか。
オレみたいなやつは、もう、これにすがるしか無いと思う。
家にいたが、いい休日だった。救われた気がした。
いっしょに頑張ろうね😊
今日のうた
昔のアニメの歌。今日の記事のようなことを歌っている。
おわり