Deracine shimaken!2

散歩とか食べ物の記事が多いブログです。日記みたいなものです。

なんで人をバカにしないほうが得するか

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今日は休みだったんだけど、那覇新都心にある不動産のお店に行っていたんだね。で、実家の向かいのアパートを契約してきた。今はまだ人が住んでいるので、6月1日からの契約になったね。

オレが契約しに行ったのは、いわゆるサブリースというものをやっている不動産屋さんなんだけれども、興味をもってサブリースというものの仕組みについて学んだね。面白い。

 

で、契約が終わると早々と那覇の街を出た。で、安心の南風原ジャスコにやってきた。沖縄の東側は安心するね。沖縄は西高東低なんだけど、オレ低いほうがラクで好きだなぁ。どうも那覇は落ち着かん(笑)でも、オレ那覇に住んでいたこともあるし、本籍は那覇の若狭なんだよな(汗)

 

帰りのクルマの中で、しょうもないことについて考えていたけど、なんか、記憶しておきたいなぁ。とか思ったので書いておくよ。オレが考えたのは、人間の能力についてのことだ。

 

なんで、人をバカにしないほうがいいか。ということだ。

 

人をバカにすることは、自分の脳を傷つけることになる。人のことをバカにすると、その気持ちがあとから「自分を」バカにしてくるのだ。人を攻撃する思考は脳を傷つける。脳は誰に対する攻撃の言葉なのかを判別できないからだ。脳科学ではそうらしい。それは恐ろしいことだ。だから、人をバカにする人は、その攻撃を恐れ人にバカにされないように必死になる。これがいわゆる劣等感である。自分以外の他人をバカにすることでそれから一時的に逃れることができるが、自分をバカにしてくる根源は自分の脳の中にあるので、思考を変えない限りこの攻撃から一生逃れることができない。

それから逃れる方法が、人をバカにしない。ということなのだろうと思う。そういう思考の人は、人を優劣で捉えることがなく、また自分も苦しまないと思う。が、人間は目が横についているからか知らないが、「比べることで自分の位置を図ろうとする」本能が働いていると思う。「比べることは不幸の始まり」と教えられているが、アタマではわかっていても、それからなかなか逃れることができないと思う。

 

それを開放するのが阿弥陀様の本願である。無明を打ち破る光がここに今も届いている。それが人間にはなかなかわからないのだろうと思う。少なくともオレには届いている。朝から晩まで(寝ている間も)。阿弥陀様の光はなんと、窓がなくまったく光が入り込めないような場所であっても届く。すごすぎる。だから不可思議光という。

 

こういうことを日々考えているが、人前でいうと宗教野郎といわれる笑。まあ、上記の理由から、人にはバカにされていて本望と真剣に思う。このことは相手に迷惑になるといけないので、表立っては言わない。

 

今日のうた


モランボン楽団 我が党に永遠に従おう 日本語字幕

この歌、うたとして面白い。歌詞はすごいけど、オレだって同じようなものだろう。

オレは思うんだけど、もし北朝鮮の国民が幸せに思っているんだったら、よそからとやかく言うことでもないのではないか。まあ、ミサイルとか撃ってくるのなら話は別だが。国民が幸せかどうかだが。

 

おわり