彼女の開かずの間
世の中というのは、いろいろありすぎて、一人の人間と完全に理解し合えるのすら難しい。というのが、オレの感想ですね。おそらくだろうけど、相手方に「相手方の立場を想像して考える」能力が備わっていると、その難易度は大幅に下がる。
その、「相手の立場を想像して考える」能力。というものを、世間様では「思いやり」とか言う。
もし、自分が「快適」に過ごしたいのなら、「思いやり」のある人だけを相手に生きていったほうがいいとは思う。ただし、「人間は鏡」なので、結局、自分の同じようなレベルの人ばかりが集まるようになっている。
おそらくだけれども、「思いやり」のある人は、相手にも「思いやり」がないと、「自分だけが損する」未来がわかるので、思いやりで傷つけずに離れていくことだろうと思います。
もし、「良い人」にめぐり逢いたい。と思うなら、自分が「良い人」にならないといけませんよ。ということですよね。結局、人は「鏡」なんだろうと思いますね。
ところで、オレの内縁の妻さんというのは汚部屋女子さんなんだけれども、オレの考えでは、女性はきれい好きでなくてはならないのか。というと、それは、
「男女平等なので」
そうでなくていいわけです。
女性は、きれい好きで、生活をキレイに整えて、料理も上手で、掃除も見目細やかじゃないといけないの?まったく、そういう事ありません。長い間、そういう「女性はこうでないといけない!」という呪縛に縛られて生きてきたことに対して同情を示す。
女性は、「女性らしく」なくて、全然オーケーです。
なんですか?女性らしさって。
男性らしくない男性がいてもいいし、女性らしくない女性がいていいわけです。
男女とか、性差のうえに「人間」という概念があるわけですよね。きっと。
だから、自分が物事を考えるときに。
「男女」レベルで考えているか、
「人間」レベルで考えているかを、見直してみたいものですね。
で、心に、ひっかかるものがあれば、
「あなたはその程度(男女レベル)の人間」
ということなのだろうと思います。
まあ、それは、オレにも言えるけどね。
都合が良い平等、というものにも気をつけないといけないかも知れないですよね。
「平等」というのは、
「みんな同じだから、お前の意見は聞かない」という意味でもあるとは、思います。
今日のうた
おわり