きれいなお花だね。ビオラかな?
今日は、考えたことを述べてみたい。
「優秀じゃないといけないのか?」
オレが考える理想の社会というのは、競争というものが存在しない社会なんだけど、現実として競争というものが存在している。おそらく、人間社会だから少しはマイルドになって「競争」というものになっているが、これが自然界なら「殺し合い」である。
弱肉強食が自然の摂理だ。
人間も「動物」なのだ。
自分は、弱くて馬鹿な人が好きだ。オレもそんな弱くて人間らしいバカの一人である。そんな仲間に頑張って欲しいし、その、きれいな心を保ってほしいのだ。オレは、だからといって、自分の弱さを売りにして甘えているような人間も好きではないんだなぁ。すべてのものは平等で、お互いに強くなるべく努力していこうよ!とか思っている人間である。
では、自分という存在はどういう存在なのかを考えてみると「地ならし」の人ということになる。弱きを助け、強きをくじきたい。と思っている(タケちゃんマンと逆なわけだね)つまり格差をなくして、「みんな同じくらい」にしたい。と思っているわけなんだね。
なぜかというと人間は格差に敏感だし、どうしても比べてしまう生き物だから。仏様は「比べることは不幸の始まり」と言っているしね。それを人間の思考回路(心)レベルで実現しようとしたものが宗教だったと思うし、現実面で達成しようとしたのが社会主義だったのだと思うね。
なかなか、それが難しいということは、これまでの歴史が証明している。
これは、難しい問題と言えると思う。人間という生き物の、どうしようもない本質なのだろうと思う。阿弥陀様はすべて見抜いているから、そんな哀れな人間という生物、「まさしく私」を救わずにおれないのだと思う。
ただ、そのことを全人類が意識して行動するだけで、かなりの改善が見込めるとは思うんだけどね。現実世界を見ると、より優秀な人と結婚し、よりよい学校に入学させ、より良い会社に就職し、その系譜は子供に引き継がれる。社会に出て「勝てる」人間に育て上げるのだね。やっぱり東大を出た親は子供にも東大に行かせるし、芸能人の親は子供も芸能人にしたいだろうねぇ。でも、客観的に見たら、格差の再生産を行っているだけであり、それを是正してほしいなぁ、というのが正直なところではあるんだけれどもねぇ。(ただ、こんな現実社会を見せつけられていると「我が子は勝ち組に!」と思う気持ちも十分理解できる)
みんな、代わりばんこ。と、なってほしいねぇ(^_^;)
今日のうた
おわり