分けないという考え方。
すべては平等という考え方。
これ、なかなか出来ないと思っているが、そもそもが「自分と思っているもの」が「世間」に洗脳されている可能性がある。だいたい男女差別とか言っている時点で、すでに男女を分けてしまっている。同じ人間じゃないか。分ける必要はない。これは多分、世の中がおかしいかも知れない。オレは労働者だと思っていたが、自分自身の経営者だ。そう考えていくと、みんな仲良くなれるはずである。だって、分けないんだから。
自分と他者との境界すら曖昧になる。優劣とか貧富とかも本来意味なんかないものだろうと思う。知識をため込んでも、それ、幸せとはあまり関係がない。貧富とか言っても、別に食べ物は手に入るし、お金持ちさんもお金のせいで悩みは尽きないことだろう。能力とか言っても、人に勝とうとかいう時点で駄目。イチロー選手とかは誰とも戦っていない。究極的には能力とかも特に意味はないと考えられる。結局、本質的なことではないと思われる。つまり、比較のツール(分けるためのツール)というものはことごとく意味のないものであると考えられる。世間は、それにまるで意味があるかのように喧伝している可能性がある。
仏法では「自分はない」と教えるが、そうだったのかとも思う。今、自分が頭で考えていることも、多分、昔誰かから聞いたり本で読んだりしたことなんだろう。「自分」と自分で捉えているが、それも借り物である可能性が高い。そう考えると、本当に仏様のおっしゃるとおりとなる。自分から離れるとドンドン生きるのが楽になるのに。とも思う。
おわり