昨日は実家に行ってきた。
自分も年も年だし、親も年も年なので、もはや親は子供に依存する存在となっていた。明らかに親のほうが子供と化していた。
とくに父親は著しく、自己中心性が目立ってきた。もちろん、若い頃はこうではなかった。認知症とかではないが、これも自然な老化の表れである。
自分が考えるに、「思いやり」というものは高度な知性が要求される。自分という存在以外の他者の心理まで考える必要があるからだ。話しながら、人間二人分(自分と相手)のことを同時に考えなければならないわけだから、使う脳ミソも2倍であろう。
脳の力が低下してくると、相手の立場になって考える力も低下してくる。よくお年寄りはワガママでガンコとか言われるが、それが自然なのである。
自分が座右の書にしているカーネギーの本には、「自分と同時に相手のことを考えられる」人こそ成功すると書いてある。
たしかに。
「〜してほしい!」という人と、
「大変だと思うけど、助けてほしいんだ」という人は、
後者のほうが実際に実利を得やすいことだろう。
「思いやり」を持つということは、実利を得やすいだけではなく、ボケ防止にもなる。まさに、一石二鳥と言えるのかもしれない。
今日は休みだが、おやっさんを連れて那覇に行くことにした。おやっさんは那覇の人なのだ。
今日の歌
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むかし、なるほどザ・ワールドの歌だった。小田さん、全然変わってない!スゴイ!
おわり