まだまだ歩いています。沖縄らしい家だ。
こんなところに団地がある。例えば、収入が低かったとしても、団地に低家賃で住んで、海などを眺めながらのんびりと過ごす生き方というのも悪くないのではないか?とかとも思うな。こんな人もいると思うよ。子供を育てるには楽しい環境だとは思うな。
しゃれの看板だね。でも、店に行ったらおじさんが出てきたりして。
共同売店というのは、商店の経営も厳しいような田舎にあって、部落のみんなの出資で経営しているお店だよ。
今は観光でこんなに栄えているけど、昔は田舎には共同売店しかなかった。今も山原の、辺土名より北側にはあるよ。
沖縄はそろばんの学校が多い。オレも小学校の一年生まで親に行かされた。全部忘れたね。行って意味があったのだろうか。あえて良かった点を挙げるとしたら、机に座る集中力ぐらいか。まるで身に入らず、行くのもとても嫌だったのを覚えている。ただ、オレはその当時から親に服従しており、反抗することはなかった。それぐらい親が怖かったのだ。親に刃向かったのは看護学校に行くときだった。オレは県外に飛び出した。
これは、恩納村役場。米軍の所有地も多く(軍用地料が入る)観光産業もダントツなので合併する必要がなかったのだろう。
おわり