今年のお正月は、彼女とも一緒に過ごさす、別々に行動していたこともあって、目標なども立てずに過ごした。
自分はたとえ実行できなかったとしても、目標を持ち心を新たにするということ自体が良いことだとも考えており、新年の書初めみたいのが好きであった。
去年は「克己清貧」だった。克己?は実行できたかどうか怪しいが、清貧は守り通したような気もする。毎日生活保護以下のような生活をしているが、預金額が積み上がってきており、それもずっと運用している。
生活でも、運用でも、今のところ赤字になっておらず、どんどん積み上がっている。そのままの生活を続けていけば、60歳で仕事を終えたとしても、老後の心配はないだろう(その後遊んで暮らしたとしても)。オレの頃には年金は75歳支給の可能性が高く、オレの性格なら最後まで働くかもしれない(預金額がいくらであろうとも)。働くことが世のため人のためになり、自分の幸せでもあるからだ。
財産自体は、自分が死んだら彼女が相続すればいいだろう。(何割かはお寺さんに)
贅沢すること自体が好きでないため、今で充分幸せである。なんでためてるか?と言うと老後の心配のため、と答えるが、オレは「カネがもたらす安心感」というものもわかっており、精神の安定のためにも蓄財は欠かせない。「衣食足りて礼節を知る」という言葉もあるからね。あくまで心を安定させ、余計な不安を排除するための現実的手段であって、一番貧乏なのは「自分の欲求のトリコ」になっている状態なのではないか、と考えるのだ。つまり、「ココロの貧乏」である。心を豊かにする教えこそが、阿弥陀様の教えと信じてやまない。
なんまんだぶつ
おわり