Deracine shimaken!2

散歩とか食べ物の記事が多いブログです。日記みたいなものです。

駄文

今日も仕事ですよ。朝の3時に起きてしまって、眠れなくなった。けど、なんとなく頭がボーッとしていたよ。二度寝しようとしたが、眠れない。もう、諦めちゃった。コーヒーを飲み始めたのは4時。しかたないので、風呂にも入る(沖縄ではシャワーのことだよ)

5時からラジオつける。いつものようにRBCラジオを聞き始める。「新・人間革命」と「こころのともしび」を聞く。「新・人間革命」は正直に言うとよくわからないが^^;山本伸一さんの活躍物語のようだ(わざとわかって書いているよ)、こころのともしびは、オレの中ではイエス様を勝手に阿弥陀様に置き換えて聞いている。ほとんど違和感がない。考えてみると、キリスト教浄土真宗はとても似ているような気もする。どちらも毎日やっている。沖縄では「みほとけとともに」がやっておらず、radikoで聞いている。ただ、オレは他宗であってもラジオの宗教番組が好きであり、ためになる。

で、5時半からは「生島ヒロシのおはよう一直線」を聞く。5700回を超えている長寿番組だ。オレは、金沢にいた頃、新聞配達をやっていた。で、毎日、このラジオを聞いていたのだ。まだやっているのだ。生島さんはメガネでインテリ系に見えるが、実は大変なやり手であり、空手の有段者であり、アメリカに飛び込み英語もペラペラだったり、すごいチャレンジ系で明るい人で、芸能事務所の会長でもある。チャキチャキしていてオレは好きである(調子に乗るところもご愛嬌である)

オレは、 新聞配達では、主に笠舞と赤坂を担当しており、寒い中シャカシャカと新聞を配っていた。夜明けで空が白んでくるのが好きだった。ただ、給料が足りず(最初の頃は、奨学金を借りておらず、純粋にバイト代だけで暮らしていたのだ)、夜中の東急ホテルのバイトに変更した。配っていたのは朝日新聞だった。オレは保守のくせに、いまでも朝日新聞が嫌いではなく、朝日新聞を配れることは、オレの中では幸せであった。

新聞配りの帰りにゴミ捨て場でテレビを拾い、それを3年間使用していたのを覚えている。特に、新聞配達のカブを借りて、湯涌、田上、医王山のドライブに出かけたことはいまでも思い出に残る。

これまでの人生を振り返ってみると、オレは行動派であり、やりたいことはほとんど実現させてきた。看護師になる!と決めたら、本土に渡ってでも看護師になった(当時沖縄には看護学校が一つしかなく、学費も大変だったので最初から本土の国公立を狙った)。試験科目に生物があったが、オレは高校時代、生物を履修しておらず、独学で試験に臨んだ。

また、看護師になったあとは公務員になると決めたので、県職員になった(競争率は27倍であった)。なのに、一生に一回は東京に住みたいと思ったので、さっさと公務員をやめカバンひとつで東京に渡った。最初の車はクラウンにすると決めたので、最初の車はクラウンになった。ミニクーパーにも乗ってみた。

オレは、「できないということはやる気が無いということだ」と思っており、やると言ったら実現できると思うんだ。できる・できないを決めているのは自分だと思うんだ。

 

今でも言える。

「やるといったら、やる」

できるか、できないかは、環境ではなく自分の問題だとおもう。本当にやる気があったら、どんな手をつかってでも実現すると思うんだ。できないということは、そもそもやる気が足りないのだと思う。ただ、最近は面倒くさくてやる気が起きないな^^;

ま、やることはやってるがな。

 

おわり