明日はまた、休みなんですよ。
あいも変わらずやりたいことが特にない。
やりたいことが特にないので、人生が長く感じている。
若いときにはやりたいことがいっぱいあったようだが、やりたいことは全てやった。後悔が全くない。
仏様に怒られると思うんだけど、後生の一大事も覚悟を決めたし、お念仏申す身になったので、特に悔いもない。
生きているうちに仏様に出会うことができたので満足だ。
突き詰めて考えると、やらなきゃいけないことも本当はない。別に立派な人にならなくても良い。自力の行は往生の因にならないと思う。
老後のことを心配したりしているが、考えてみたら生きてやりたいことも特にないと思う。すなわち老後に生きていなくてもよい。定年後に遊ぼうと思っていない。仕事がイヤではない。
仕事が好きみたいだが、別に自分がいなくてもよい(究極的に言えば誰でもそうだろうと思う)
オレがいないと寂しいと思う人もいるかも知れないが、人間は忘れるし、その人もいずれ死ぬ。(必ず)
じゃ、なんで生きてるか?というと、死ねないから生きているのだろうと思う(こういう人は多いんじゃないだろうか)
生きているとヒマなので暇つぶししているのだろうと思う。
こういうことを言うと怒る人がいるが、それは思想の自由だ。
ネガティブに聞こえるかもしれないが、「生きていてよい」そうである。
オレに「そのままで生きていてもよい」というのは阿弥陀様だけだ。
職場では職場の役目、実家では子供の役目、彼女には彼氏の役目を求められるが、それができなければ人間はいとも簡単にオレのことを捨てるだろう。
人には言わないが、オレ自身はそう思っているのである。
阿弥陀様は言ってくださると思う。ただ生きていてもいいのである。なんかする必要も本当はないのである。そして、究極的に言えば、生きていても死んでいても良いのだろうと思う。
本音の本音はこれである。
まあ、本当の臨終のときは「死にたくない」とか言うかもしれないが、それはそのときにならないとわからない。オレが覚えているのは、心筋梗塞で倒れたときに、ずっと救急車でお念仏していたが生きたいとか死にたくないとか何も考えてなかったことだけは覚えている。
オレ、別に病んでるわけではないよ。
真剣に生死を考えたらそうなるのだ。
おわり