今日は仕事
「食えなんだら食うな」という本を読んでいるんだけど、本当に厳しい。そりゃあ、禅宗のお坊さんだから、厳しさもひとしおだろうとは思うが、ちょっとかじる。程度すらできそうにない。
「求道」あっぱれだと思う。
ただ、オレは浄土真宗から揺らぐことはないので、いかに、「在家信者」として、仏様に見守ってもらいながら日々の生活をしていくか。と言うことだよね。僕にはよくわからないんだけど、たしかお守りを売っていないお寺は浄土真宗だけであり、そんなものよりも、在家の信者に「実践」を求めているんだ。と考えている。
最近は、何をしながらでも阿弥陀様の言葉を考えながら、自分の心にサーチライトを当てており、さっき洗い物もしているときに、なぜか急に「功徳の宝海満ち満ちて、煩悩の濁水隔てなし」というのがしみじみと感じ、お念仏が自然に出た感じがした。もちろん、幸せがじわじわと全身を包んでいた。洗い物をして喜んでいる人、が出来上がった💦
禅宗の厳しさとは全然違うが、オレは「オレが楽になりたい」という煩悩で動いているようである。オレのような自分にも甘い人は阿弥陀様に救ってもらいたい(とオレが考える前にすでに救っているという全知全能のスーパー仏様が阿弥陀様)
おわり