Deracine shimaken!2

散歩とか食べ物の記事が多いブログです。日記みたいなものです。

コロナ概観

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チランドシアという植物

 

コロナがおさまらない。もちろん、オレもこの長い間、ずっと活動自粛を継続中だ(特にオレは当事者ということもある。オレが自粛を怠ると職場に大損害を与えてしまうことになるからだ)

 

ただ、オレは世間ではおそらく口が裂けても言えない概観も持っている。

この新型コロナウイルスは、遺伝子に人工的に加工された部分が見つかっている。というアメリカの調査結果もあるらしいが、これまでの伝染病然り、自然というものは「弱いものは死ね」と促しているのだろう。ということだ。

 

若者は一部のものを除いてほとんど症状がないという。で、呼吸器などに脆弱性を持つ若者など一部は重症化している。ということだろう。

 

政府やマスコミの立場では、「これ、自然なことだから、な~んもしないで弱い人には死んでもらうしかないんじゃないの?」とは口が裂けても言えないことだろう。

 

で、ここで医療の活躍の場となるのだが、はたして医療というものは「自然にさからったこと」なのである。と言い切れる。人間の「生きたい、元気に暮らしたい」という欲望を叶えるべく発展してきた学問及び技術だからだ。

 

認知症もすすんだお年寄りを見ていると、みんな自然に「自ら死のう、死のう。という行動」をとってくるのである。便を投げつけ環境自体を不潔にし、それを食べたりする。勝手に立って勝手に転び、回復不可能な骨折を起こそうとする。近くにあるものを掴んで口に入れ、勝手に窒息しようとする。薬がまずい、といって吐き出す。そもそもがご飯を食べる気もないので食べようとしない。それを援助して口に入れても飲み込めず時によっては窒息を起こす。

 

みんな、死のう、死のう。としてくるのである。

そして、それが「自然」なのであろう。

 

医療や介護というものは、その自然という大きな営みに対して、たかだか人間の欲望による勝手な視点であらがっているだけの行為だと言える。一応、現代ではそれが人間界のスタンダードの倫理観として採用されているのだ。だから、世間様やマスコミュニケーションは「医療従事者の皆様、ありがとう」と言っているのだろうと思われる。それは、ありがたいことではあるが。協力していただかないと、このコロナという「大きな自然のうねり」を止めることができない。

 

オレが日々行っていることは善行ではない。

 

人間は、生まれ、老いて、病んで、死ぬ。

 

当たり前のことを、恐れず受け入れたい。とは思っている。

 

おわり