今日は休みでした。
昨日電話して、本屋に取り置きしてもらっていた本を買いに行ってきました。
上に載っている雑誌だな。
その帰りに、北谷の食堂で骨汁を食べてきました。
これは、彼女の希望で昨夜、食べに行った食事の写真です。ふたりとも遅番で遅く帰ってきて、疲れていたので外食にしました。
(基本、食い物ぐらいにしか興味はない)
若い頃のオレというのは、とにかく教養主義というものに傾いたところはあった。特に東京にいた頃だ。
その頃のオレは、雑誌を定期購読し、特に休みの日にそれを読むといった生活を繰り返していた。
その当時、定期購読していた雑誌は、「中央公論」、「週刊東洋経済」そして「ザ・ジャパンタイムズ」の3誌であった。他にも、趣味の雑誌として「ニューサイクリング」(現在は廃刊)などを定期購読していた。
休みの日に、エクセルシオールカフェに行って、電子辞書を片手に英字新聞を読んでいたことをよく覚えている。
楽しかったよ。
若い頃は、そういった教養主義に憧れた自分であったが、仏教の学びを深めるほどそういった考えは崩れていった。オレは中央仏教学院というところにも通ったのだが、むしろそこでは、「知識というものの弊害」を教えるわけである。
今の結論は、知識と言うものは、自分の利益ではなく、他者の利益として使うためなら承認するが、所詮、知識などというものは娑婆での生き抜き方などであって、例えばそれらを習得して娑婆での生存競争に勝ったと言っても、
「特に意味もなく、むしろ害の方が多い」
結論はこう言い切れる。
一番大切なのはお念仏である。
あくまで、知識とか教養とかは「お楽しみ」だ。つまり「ひまつぶし」
ひまつぶしで、人生を終えるのもねぇ。
どうせ、死ぬしな。
生きている時間と、死んでいる時間はどっちが長いか考えたら、
「死んでからの方を考えたほうが合理的」
知識か教養か知らないが、しょせん「娑婆でしか役に立たない」
今日のうた
最近、マイブームの歌。
おわり