僕は25歳で沖縄を離れ、本土の学校に入学しました。国立病院附属の看護学校だったね。雪国だったから、寒くてビックリしたよ。沖縄に住んでいたので、初めてだったんだね。寒いのは。
その後、沖縄県の公務員となり、自分の故郷へ帰るつもりだったのですが、なぜか、自分の島を300キロくらい通り過ぎ、宮古島で3年間を過ごすことになってしまいました。辞令が出て宮古島での勤務が命じられたわけですね。
ただ、3年たつと、もう帰るのも嫌な感じになっていましたね。その頃、島に流れ着いた、東京の患者さんがいて、話を聞いていると、これまでにみたことのないような人で、楽しいことも沢山知っていました。
人生は1回しかないので、僕も一生に一回は東京に行ってみたいと思うようになりました。
それで、沖縄本島への転勤の辞令が出たときに、何をトチ狂ったのか、辞表を提出して、東京の病院に就職することになりました。母親は大反対でしたね。公務員も競争率27倍だったので、辞めるのはもったいない。という意見でした。
ただ、その時は1人で生きてきたので、精神的に不安定な感じもあったような気がします。結局、公務員はやめ、カバン一つ(本当です)で東京に渡りました。病院は決まっていたので、駅前の不動産屋でアパートを借りて、借りたその日から寝たことを覚えています。
7年東京で勤めた後、一旦2年間は沖縄に戻りました。
ただ、東京の居心地が忘れられず、東京に戻り、また2年間は東京で仕事をしていましたね。一番好きな、一番よく行った街は立川でした。
ただ1年目の後半あたりに心筋梗塞を起こし入院してしまいました。心筋梗塞自体は大した事ないと今なら思うんですけれども、当時の自分はかなりショックに思ったらしく、まるで世捨て人のような生活を始めるようになりました。
クルマも売り、歩いて職場に通うようになりました。職場まで8キロもありましたが、
それで元気もなくなり、鬱のような状態になって、結局1年後に職場を辞めて沖縄に帰ってきました。
それから今は10年ほど経っていますね。元気も取り戻し、奥さんもできました。40歳もすぎていたので、子供はできませんでした。
やりたいことは全てやったので後悔はないですね。なにより阿弥陀様に出会い、「ひとりではなくなった」ため、ココロに振られた突飛な行動も無くなってしまいました。
今は死ぬ準備。と言ったところですね。48歳なんですけどね。まあ、心臓病だしね。
おわり