Deracine shimaken!2

散歩とか食べ物の記事が多いブログです。日記みたいなものです。

誰得?

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今は昼休みなんだけどね、

 

さっき仕事をしながらテレビを見ていたら、痛ましい事故のニュースがあった。母親が車の中に子供二人を放置してしまい、子供がなくなってしまった。で、母親が逮捕されたそうだ。

 

オレは、日頃ラジオからニュースという情報を取っているため、あまり想像力がはたらいていないというのも事実だと思うのだが、テレビには現場になったクルマとか、母親の名前(大変に印象に残る名前だった)が表示されていた。

 

オレは内心思った。

「誰のためのニュースなのだろうと」

 

犯人は母親だ。それは間違いないから逮捕されたのであろう。でも、一番悲しくて辛い思いをしているのは母親だろう(調べてみると保険金殺人とかだったら話は変わると思うが)

じゃあ、全国の皆さんに知らせる必要はないだろう。バカな母親だとか、近所の皆さんに非難されたりしないだろうか。かわいそうに、とか同情されても母親は辛いことだろう。

じゃあ、なんで報道するのか。

インシデントレポートみたいに、報道することで国民に注意を促すためだろうか。そのために、つらすぎる母親をさらし者にするのが天下のマスコミなのだろうか。国民の注意喚起のための犠牲者なのであろうか。

それとも、何でもかんでも事実として明らかにすることが人間社会の向上につながるのであろうか。確かに良いニュースだけが流れてくる世の中自体が戦前の日本や北朝鮮みたいにおかしいとも思われる。ただ、そこに母親の氏名などは必要なのであろうか。

国民の「知る権利」のためなのだろうか。

取材する記者や、ニュースを読んでいるアナウンサーはどういう気持ちなのだろうか。それとも、別の職種であるオレのように、良心の呵責みたいなものを押し殺して「国民の知る権利」を守るため、私情をはさまず淡々と取材をこなしてニュースを読んでいるのだろうか。ジャーナリズムという崇高なものがあるのだろうか。

それとも、現場の人はもう、オレのように自分のアタマで考えるのをやめてしまったのだろうか。

それが、「仕事」というものなのだろうか。

 

このニュースを知った国民は何をするべきなのだろうか。帰ってきた母親に何と言えばいいのでしょうか。

 

おわり